それにもかかわらず、完備とはいいにくい。語彙の相違の原因を詳しく解釈するとき、手段が比較的に単一である。主に純粋的な言語の面から研究を進め、文化的な面の研究は少ない。本稿は同形異義語の由来、定義と分類を分析し、中日同形異義語の形成原因を探りたい。
第一章 日本における漢字の導入と中日同形異義語の成立
1.1日本における漢字の導入
漢字は中国から日本に輸入されたのはもう2000年の歴史がある。紀元前1世紀から紀元後1世紀に至るまで中国の銅鏡、印章、貨幣などが日本に伝えられた。その上に記載した漢字は一番早く日本に入ってきた漢字である。王莽時代(紀元前45年~紀元後23年)に造った「貸泉」という貨幣をもう日本京都で発見された。「貸泉」二字は一番早い考証である。でも、この時代、日本人は漢字に触れたが、まだ漢字の機能が十分に理解できなかった。日本の奈良で出土した「方格規矩鏡」はこの原因で十二支の順番を間違えた。華夏の水稲技術、青銅器と鉄器を受けいれた弥生時代では、文字はまだ伝入されていない。日本列島では書き言葉がなくて、口頭言葉の水準にとどまっていた。伝えられてきた大部分の青銅器も神器として供えられた。
4世紀から5世紀まで、大和政権の成立とともに、隣国と付き合うため外交辞令を書くことなどは重要になってきた。それに伴って、漢字は日本社会の上層に利用されてきた。「古事記」、「日本書紀」の記述によると、百済から渡来した和邇(王仁)が論語十巻、千字文一巻を応神天皇に献じたのは日本人が漢字を習う一番早い記録である。隋唐時代は中日の文化交流が最も盛んな時代と言える。中国へ隋唐使学問僧が多く派遣された。官辺の交流は民間貿易の発展を促進して、両国間の文化交流の高まりを盛り上げた。日本に対して中華文化を吸収した黄金時代に入った。この時期に大量の漢籍も日本に伝えられた。全面的に中華文化を吸収するため日本人は漢字の習いに努力して、漢字利用も促進した。
日本は漢字を利用した初期、だいたい皇室と貴族が漢字を習って漢籍をまねた文章を書くのである。しかし漢語文章を書くのは彼らの想いを正確に表現しがたい。だからそれ以後漢語の読み方を借用して、自分の言葉を表記することを試み始めた。漢字は表意文字なので、個々の文字は各自の意義がある。それゆえ、漢文を日本語化する努力の過程で、日本語としての読みをわかりやすくするため、万葉仮名が用いられ始めた。万葉仮名の字形は、基本的に元来の漢字と同じである。万葉仮名の普及は、漢字に付随する文字の活用法の限界や不便さを知るとなり、日本語を表記するにふさわしい、日本独自の文字を創作することの重要性が認識されていた。漢字を参考にして創作されたと考えられてきた平仮名と片仮名が、日本特有の文字として平安時代から存在する。今まで、それらが漢字と混在しながら日本語の表記に活用されてきた。
1.2中日同形異義語の成立
中日は一衣帯水の隣国で、昔から今に至るまで、政治、経済、文化など様々な分野において頻繁な交流が行われてきた。特に言語の面において両国はお互いに深い影響を与えた。だから、中日両国の言語においてはたくさんの同形異義語が生じた。様々な原因で、その中に一部の同形語の意が完全に一致していない。さらに中日両国の言葉は使っている過程で語義の変化が生じて、本来意が同じの語彙も時間の移り変わりに従って、相違が出てきた。近代の日本人は漢字を借用して、たくさんの和製漢語を造った。その和製漢語は中国に逆輸入されたものも少なくない。中でも中国に伝入した後で語義の変化が生じたものもある。 中日语言中的同形异义词及其形成原因(2):http://www.youerw.com/riyu/lunwen_47710.html