しかし、本論では、主に文献法を通じて、オタク文化の日本から中国への影響の資料を整理、分析し、中日オタクの年齢層、特徴や社会からの態度の違いを探し出す。また、中日オタク市場はどんな状況なのか、中国オタク市場の問題点はなんであるかを研究する。そして中日オタク文化の今後の発展を予測する。
2 .「オタク」の起源
2.1オタクの誕生と発見
そもそもオタクという言葉は、どこから来たものだろうか。この点について、評論家の岡田斗司夫によると、1980年代の初頭から主に大学生を中心とするSFファン同士の集中において使用し始めたものだという。『現代用語の基礎知識』(1997)には更に以下のように述べられている。
「オタク」という言葉は、もともとSFファン同士がイベントで集まる場などで使われる二人称として発生した。というのも、そういったSFのイベントでは、それぞれの人は単なる個人としてはなく、各人の所属するサークルを代表する人間、という捉えられる方をしていたからだ。そのため「オタクのサークルでは」「オタクのグループでは」という意での「オタクは」という呼び方が好まれた。この言い回しは、SFファンの間で爆発的に流行し、1982年のTVアニメ『超時空要塞マクロス』で、登場人物が使う事によって、アニメファンにも一気に広まった。
さらに同じ記事中で記されているように、その存在を世の中に知らしめたのは、評論家の中森明夫が『漫画ブリッコ』雑誌の1983年6月号から連載を開始した「『おたく』の研究」という記事であったことが知られている。
しかし、中森が「おたく」をこの年に「発見」したのは恐らく偶然ではない。
それでは83年とはいかなる年であったのか。それは一言で記すなら、80年代的事象が一斉に時代の表層に現れた年であった。
例えば、『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店)によれば「社会」の項目に「<おしん>ブーム(<忍耐><辛抱>の代名詞となり、<おしん症候群>を現出)」とある一方で「経済・産業・技術」の項目には「戦後最長不況(’80年3月~)、2月で終了(7・27経済企画庁、景気底離れ宣言)」とある。10月12日には、東京地裁でロッキード裁判の丸紅ルート裁決公判が開かれ、田中角栄に懲役四年、追徴金五億円の実刑判決が下されており、『日本列島改造論』から十年余を経て、バブル経済の時代を目前に控えていた。
しかし八三年という年を理解するには、以下のいくつかの固有名詞を伴う項目を列挙する方がわかりやすいだろう。
<四月十五日 東京ディズニーランド開園>
<七月十五日 任天堂(株)ファミリーコンピュータ発売>
<八月十八日 大友克洋『童夢』>
<九月十日 浅田彰『構造と力-記号論を超えて』>
<十一月二十日 中沢新一『チベットのモーツァルト』>
このような事象の一つとして、「おたく」の発見があったといえる。
2.2 幼女連続殺人事件の影響
「オタク」という言葉というと、幼女連続殺人事件を無視することはできないだろう。連続幼女誘拐殺人事件とは、1988年から1989年にかけて東京・埼玉県で発生した、幼女を対象とした一連の殺人事件である。この事件の犯人である宮崎勤は 2008 年6 月に死刑が執行された。逮捕後の家宅捜索では約6000 本のビデオテープの存在が明らかになり、自らアニメ同人誌を発行しているなどの背景もあった 。 关于御宅族文化中日宅文化现状的比较(2):http://www.youerw.com/riyu/lunwen_49333.html