「恥の文化」に関している研究の中でベネディクトと作田啓一は代表性がある。ベネディクトは概念を提出したのに対し、作田啓一は恥を「公恥」と「私恥」に区分するだけではなく、内面的な罪の文化と外面的な恥の文化からなる対照図式に質問をあげ、「恥の文化」には内面的な規制力もあると補足してベネディクトの描いたゲシュタルトの不完全を指摘している。しかも、社会学と心理学の大量な応用により、「羞恥」が「切断」と「連帯」を架橋する概念なので 「恥」と「罪」の交差で重要な役割を演ずると主張する。
さて、こうした背景を踏まえたうえで、本研究の目的を簡潔に示しておくことにしたい。「恥の文化」は「罪の文化」と等しく文化の型の一つである。西欧文化圏を特徴づける「罪の文化」の美化あるいは「恥の文化」の批判はベネディクトの目的ではない。本論文の目的は恥の文化概念そのものを解明した基礎でとくに「羞恥」の概念に注目し、作田啓一とベネディクトの理論体系における恥の生成過程と社会機能を述べ、内面性を論証することによって「恥の文化」に対する理解を深めることである。『価値の社会学』の理論枠組を最低限必要なだけ抽出し、アメリカの社会学者のランドル・コリンズの儀礼的連鎖の相互作用論を用い、恥の文化を解読する。先行研究は時代の特色で価値の判断と迎合あるいは反発の姿勢が多く、本研究は「恥の文化」その文化概念に集中し、その内面性とメカニズムに光を当てる日本文化の一面を見る試みとなることを願う。
一、「内外」の提出
『菊と刀』という本は「恥の文化」に対する専門的な研究ではなく、戦争情報局から与えられた日本人の行動を深く理解するため完成された研究課題報告の『日本人の行動パターン』(Report 25: Japanese Behavior Patterns)から改作された総合的な研究である。恩、名、義理などの概念は章節のトピックとして論述されるが、「恥」は第8章までで出る。当時の時代とより早い時代、、例えば明治時代、その時代の状況を踏まえた上で、事例と現象を通じて日本人の恥の文化が説明される。「外面的」という特徴は「面子」のように解読される傾向があるであろう。内面の自省と比べると多少消極的な印象もある。しかし、文化ということは優劣の区別より各自の特色の表明と発展が重要だということは人類学者としてのベネディクトが最初から明確に言明したのである。人類学者として日本社会を研究したにもかかわらず、米国人の立場は多少ある。作田啓一は元の概念を補足したが、日本人の立場もある。その後恥の文化についての研究は罪の文化との比較に集中することより恥そのものに注目する研究が多くない。
1、「恥の文化」における先行研究
中国の研究者は中国の伝統文化にさかのぼり、儒教の倫理思想を中心においた恥の文化の本場といった意識を持ちながら「罪の文化」と比べて東西の文化比較の行われる研究が多い。『菊と刀』のテキストを基礎として論じる中国の研究現状に対して、日本の学者は問題意識の転換を経た。 また、心理学、社会学、人類学、哲学、法律などの角度から批判を展開している。
1948年長谷川松治による日本語訳本が出版された後支持も反論もわき上がった。この時期でベネディクトの方法論や学者が解読してきた価値観に集中している批評の意識は主流である。1949年東京で5人の学者(鶴見和子、川島武宜、幼方直吉、磯田進、飯塚浩二)が参加したシンポジウムは行われ、1950年『民俗学研究』は五人の学者(川島武宜、南博、有賀喜左衛門、和辻哲郎、柳田国男)の長編評論が掲載された。 その中で柳田国男は恥が日本社会で重要な役割を果たしていると認めるが、罪の意識も日本人の行動に強い影響を与え続けると論じる。 《菊与刀》和《耻感文化再考》耻感文化的深度解读(2):http://www.youerw.com/riyu/lunwen_51960.html