そして、長い時間をかけて、中国のお正月は、お互いに祝福し合い、紅色の春聯を玄関に貼り出し、爆竹を打ち鳴らすようになった。中国の春節は旧暦の12月8日の「臘祭」、もしくは12月23日の祭竈に始まり、旧暦正月15日の「元宵節」まで続く。大晦日と1月1日に祭りは最高潮に達する。
日本で、正月とは本来、その年の豊穣を司る歳神様をお迎えする行事であり、旧暦1月の別名である。改暦後は新暦1月を意することもある。また、初詣ももともと氏神様の祀られた神社にお詣りして、先祖のご加護を願うものだったそうである。これはお正月の本来の意だといえるだろうと思う。日本では、年を主管してる神様は歳徳神という。伝説によると、徳神は新しい活気をそれぞれの家庭にあげる。人々は、徳神が農作物の豊作になる神だと思う。そして、時間の経つことにつれて、日本の新年は毎年1月1日からである。1868年の明治維新以後、日本はヨーロッパの西暦が採用されているので、新年も新暦になっていたようである。現在は、1月1日から1月3日までを三が日、1月7日までを松の内、あるいは松七日と呼び、この期間を「正月」と言っている。地方によっては、1月20日までを正月とすることもあり、1月20日を二十日正月(骨正月)と呼ぶ。
日本の歳徳神は中国から伝わったが、「年」の理解について、大分違いがある。日本には、「年」は豊作とお祝いのことと思うが、中国のにぎやかのお祝い方に比べて、ずいぶん静かになる。中国のお正月もともとは、「年」という獰猛な獣をよけるのため、寝ないで新年を迎えるのはと対聯などの習俗の本来の目的は魔をよけるけど、今やはり中国でも日本でも、それらの形態を保っている。
3 中日正月習俗の異同
3.1 共通点
夏朝以前に「年」の概念があった。その時の農業は多毛作ではなく、1年にただ1季の作物だけを植えた。だから、穀類が一回1年で熟して、人人が農作物を再び収穫するように、いずれも祝い活動を行って、大衆は神の恩に応えて、同時に来年天候が順調なことをも望んで、災害を避けて魔をよけるのが春節の起源だ。日本の元旦は中国の春節に相当するが、それは新年の形式が中国古代から形成され広く伝わっていたので、その祝日の意義は中国の春節と同じでは、すべて来年の好運を切に願うためで、良い新しい意がある。
中国の春節は日本の元旦と同じく全て楽しく祝って、昨年に別れを告げ新年を迎える。祝日の雰囲気に満ちている。例えば、大掃除をしたり、家を飾ったりする;ある地方は提灯をつるし色絹を飾って、都市と農村の各地はすべて飾られて新しくなる。商業区は華やかで、色とりどりで美しい;機関、学校、病院、会社、大通りなどには、全部国旗、彩色旗が掛かって、祝日のスローガンを貼って、大部分の表門は生花あるいは盤桔を飾り付ける。要するに、何所でもお祝いの雰囲気に満ちあふれる。
中国日本新年习俗比较中日正月習俗の比較(2):http://www.youerw.com/riyu/lunwen_61534.html