1990年代以降、制服を着ることが要求されない高校に通う生徒などが市販の学生服や他校の制服を私服として通学時や講義のない時に着たり、他校の指定の鞄を持ったりするいわゆる「なんちゃって制服」と呼ばれる現象が存在するようになった。
現代社会に入って、日本学校の制服はセーラー服だけでなく、ブレザータイプも流行になってしまった。従来の紺と黒系統から明るい色が増えて、多種多
様なデザイン、カラフルなネクタイ、複数の制服の自由な組み合わせなども挙げられている。
3.2 中国学校の制服の変遷
辛亥直後、中国に制服が初めて登場した。辛亥は中国が半封建半殖民の境地から救い出していることができなかったが、古い時代からの「人は5段階に分ける、衣服の色は5種の色に分ける」という服装の制約は破ってしまった。この時、学生は統一的な制服がなかったというものの、制服を着るという意識が持っていた。
30年代から、満州民族と漢民族の衣装が融合し、改良されたチャイナドレスは女子学生に流行していたとともに、日本制服に似ている制服も現れていた。中国式の上着と西洋式のプリーツスカートの組み合わせも大人気だった。この時のプリーツスカートの色はほとんど黒であったし、丈はいずれも膝を越えていた。男子学生の中に、中山装が大流行であった。中山装は詰襟型の服で、正面にポケットが4つある。この制服は日本の男子学生の制服と似ていた。孫中山が日本の学生服にヒントを得てデザインさせ、初めて着用したと言われる。その上、膝を越えていて、木綿の上着とズボンの組み合わせも民国時期の知識人のシンボルであった。 文献综述
建国初期、青い幹部服と列宁服も学校に現れていた。
改革開放の後、学校に色が単調し、ゆったりしたスポーツウェアは中国学校の制服の絶対多数を占めていた。こうした制服はとても便利だが、生徒の個性と活力を導き出すことができないとしている。遠くから見ると男女の区別もつかない。
3.3 学校の制服の変遷の共通点
制服の発展過程に中国も日本もほかの国家の影響を受けることがある。白いセーラー服が暗い所でも目立ったり、襟を立てることによって、嵐などの騒音で聞き取りにくい声を聞き取りやすくしたり、砲撃を受けた時に耳の鼓膜を守ったりする長所があったので、1857年、英国海軍の軍装としてセーラー服は全面的に採用された。英国の海軍は世界有名な海軍であったため、海軍の軍装を子供に制服として着せる習慣は欧州だけにとどまらず、世界にも波及して
いた。日本もこういう影響を受けて、セーラー服は女子学生の制服として流行していた。中国の中山装は日本の詰襟と似ている。孫中山が日本の学生服にヒントを得て、それで、中国の服装の特徴を融合し、中山装をデザインさせ、初めて着用した。だんだんこのような服装は学校に入って、愛国青年に大流行した。同時に、中国の国家元首は重要な場合に中山装をよく着ている。国家の強大さは国内の発展に体現するだけでなく、更に国際上の影響に体現すべきである。十分に強大な国力がなっかたら、文化出力を行うことができない。
制服の変化には中国も日本も尚武精神に対する尊崇を表現している。日本の学生は海軍の軍装を着ていて、男子学生は軍官の軍装を、女子学生は兵士の制服を着ている表現は充分に尚武精神への尊敬を体現している。中国の民国時期から流行した中山装と建国初期の幹部服、列宁服は全部尚武精神の象徴である。国家の発展を推進するために、軍隊の強さは不可欠である。それで、尚武精神はどんな時代にも重視すべきだ。その上、軍装を着ている習慣も青少年の愛国心を表現することができる。 来*自-优=尔,论:文+网www.youerw.com 中日校服文化比较(3):http://www.youerw.com/riyu/lunwen_82522.html