日本は侵略戦争が対峙段階に入る以降、汪兆銘をはじめとするの国民党投降派が歴史に登場して、そして1940年3月30日に南京で汪兆銘政権を創立した。汪兆銘政権が創立した後で、いくつ日本の意志を受け通り、様々な対策をとって、奴隷化教育政策を実施して、日本の侵略難度を下げ、中国民衆の抗日意識を消えるのをたくらんで、大量の親日派を育成するためである。学校教育と社会教育に至っては、管理と統治へ潜り込むのが汪偽政府「平和、反共、建国」の綱領の一つの重要な方面として実行した。汪兆銘政府の教育部長ーー李聖五の言ったとおりで「教育为国家之命脉,作育人材悉系于是。。。。。。。国府还都后,知复兴国家必先复兴教育,而欲贯彻和平反共建国的目的,更必于教育中求之。」[ ]
社会奴隷化教育の面、汪兆銘政権は「三民主義」を強く歪曲し、全力を尽くして偽りの宣伝を行う、民衆をだまして、社会奴隷化教育を通じて中国社会の大衆基礎を瓦解させのが望むことである。
軍事奴隷化教育の面で、汪兆銘政権は自分に奉仕する軍隊を創立するのをたくらむことである。
学校奴隷化教育の面で、汪兆銘政権は強力に日本語教育を強化し、はばかりなく教科書を歪曲し、親日の内容を増加し、テキストから中国民衆の抵抗する意識を取り除きをたくらむことである。[ ]
本文は1940年から1945年にかける南京地区の学校奴隷化教育を詳しく述べる。
二、汪兆銘政権における南京の教育概況
筆者は中国第二歴史書類保存館の関連史料を調べて、1943年に「南京市の偽政権の教育調査レポート」の中は、その時南京の教育概況に対して次の通りに記述するのがいる:
1、行政組織 偽市教育局は秘書視学官を設け、二室の第1、2、3科および各種の専門委員会を設ける。
2、学校 高等教育について、大学が3所;中等学校について、偽教育部に直属者が3所、偽国立大学に付属するの男子中学と女子中学は各1所、偽市教育局に直属者が9所、計中学(高校)が3所、職業高校が1所、私立中学校が5所にある;初等教育について、小学校が70所、簡単の小学校が7所、私塾が109所にある。
3、経費 偽市教育局の経費は年間総計約四百万(32年度)、31年に比べておよそ70パーセントに増加する。论文网
4、教育 全市中学の教育者は約4百名、小学校の教育者は約1千名、しかし、合格の教師はたいへん不足で、教師が昇格して、実力のない者で頭数をそろえる現象が形成した。師訓クラスと教師養成所も効果がなくて、各学校の教員は女性が多いにして、優秀な教師は多く転職して、教員の情緒はすこぶる安定しなに対して、日本籍の教師はまたかなり多いという状況であった。
5、学生 全市の中学生は約6千人、小学生は3万人余り、私塾の子供は約4千人、学生の生活は偽政権に監視させられる原因で、行動は不自由できわめて苦痛である。敵方は日本語訓練班の卒業生を各中小学校に派遣させ、教師を担当させるよう、学生の思想審査と偵察の仕事に従事する。学生は心理上で更に不安のため、多く思い慕って後方まで退く。
6、教材 各科の教科書は多く三通出版社に出版され「国定教科書」を採用して、内容が乱雑でシステムがなく、日本語を各大学・高校・中学校・小学校の必修科目として導入する。