中国は周の時代以降、礼を以って国を治めることを強調してきた。礼は実質的には「区別」、つまり君臣、父子、男女を区別し、親疎、貴賎を区別するものだった。服飾は人々の日常的な交流の中で最も直感的な特性であることから、このような区別において最も重要な象徴となった。錦と布は全く等級が異なるものであり、絹と葛、麻も貧富を分ける象徴だった。
『中国民俗通志(禁忌志)』という本の中には、かつて衣服の色を四つに分けられる。高い色を忌み、安い色を忌み、凶悪な色を忌み、鮮やかな色を忌むと書いてある。『礼記』に記され、天子の着服の色は節によって違う。季節の陰陽五行によれば、青色、赤色、黄色、白色と黒色の五色に分ける。貞観4年に、唐太宗が百官の朝服の色を次のように決めた。「紫」を「朱」の前に置き、3品以上の官員の官服を紫にし、4品と5品の官員の官服は赤にし、6品官員の官服はダークグリーンにし、7品官員の官服は浅いグリーンにし、8品官服の官服は深い青色にし、9品官員の官服は浅い青色にしたと記載される。
日本の歴史上の色の禁忌と中国の伝統とある程度でかかわりがあるといえよう。605年に聖徳太子が「冠位十二階」を発布した。上から下まで「德」を紫にし、「仁」を青色にし、「礼」を赤色にし、「信」を黄色にし、「義」を白色にし、「智」をブラックにしたと記載されている。この6つの色と冠位はそれぞれ2つの種類、十二階に分けられる。
日本の歴史ではかつてみかん色、深い赤色、青色、深い紫色を決めたのがそれぞれ皇太子、太上天皇、天皇と親王の礼服の色にに限られ、他人の使用は禁止されていた。特に深い赤色と深い紫色は皇室以外の人は使うことが許されなかった。この規定は1945年まで続いていた。
日本では高松塚古墳壁画に、中国服の男子と女子の画像のほか、また四方の守護神としての靑龍、白虎、朱雀、玄武(黒亀)の絵もある。今日まで、日本のある地域では、赤あるいは白の和服を着なければならない。それは、白は神聖と純潔を象徴し、赤色は魔力を象徴しているためである。時代の発展につれて、和服の色はますます豊富で、豪華になる。
服装のタブー文化は社会的なコントロール及び人々の自我保護に対して、一定の影響を与えている。
結婚は、人生でとても大事な節目。結婚式は地域や民族により様々な様式があり、宗教的なものやそうでないものもあるが、どの場合でも喜びの儀式である。結婚式の服装には、結婚式という儀式にふさわしい格と、祝いの場にふさわしい華やかさが求められる。
それぞれの文化はそれぞれの特製の花嫁衣装がある。これは伝統に重ねて固定され、習慣が次第に認められて、また世世代代に伝える基本的不変な服である。伝統的な花嫁衣装は服装の中に重要な一部として、流れている時間の中に文化の特徴を披露されている。
3。 中国における結婚式の服飾のタブー
3。1 色彩のタブー
昔、中国は最下層の身分の人が身につける衣装の色が緑色だった。それから元、明の時代で売春婦の夫が緑色の頭巾を被るようになったそうだ。現代中国では、緑の帽子は「奥さんに逃げられた男性」が被るという意味で、タブー色になっているそうだ。
色彩に対する印象や好みは、国や地域といった地理的・文化的要因はもちろん、年齢や性別といった個体的要因などによっても異なる。