4。4徳川綱吉の「生類憐れみ」とそれらの影響 8
5。 おわりに 9
参考文献 10
1。 はじめに
1。1問題提起と本論文の立場
日本の歴史において、天武天皇時代から明治時代までの1200年間、政治家は全国国民に対して何度も肉食禁止令を出した。
仏教に影響されている日本で、肉食を禁止する原因が仏教の不殺生の教義であると考える学者は多い。仏教の影響が日本の千年の肉食禁止の理由の一つにはなっているが、ほかにも理由があるはずである。
仏教の発展が国の文化や思想などとは関係があると考えられているが、実は、政治の面の要因が主な原因である。他の国のものを吸収し、自国で発展させるなら、自国(あるいは自分の政治)に良い影響があるかどうかは、政治家が最初的に考えることだからである。论文网
このように考えると、仏教の教義のための肉食禁止令も、ある程度に、政治のための肉食禁止令ではないだろうか。
別の論説と違い、本論文では、政治家が仏教を唱導する原因と代表的な肉食禁止令やこれらの時期の出来事を結びつけ、仏教の肉食禁止と政治の肉食禁止の関係、また、肉食禁止令の奥にある政治的意味を明らかに分析する。
1。2 研究方法
日本での仏教の発展史と政治家が肉食禁止令を発布した時期前後の歴史を参照し、国内と海外の学者の見解を踏まえ、日本の千年の肉食禁止は政治的な要因があると検証する。
2.肉食禁止令
2。1肉食禁止令とは
肉食禁止令というのは、政治家から出した国民に対するある動物に限定して狩られなく、あるいは食べられない律令である。天武天皇時代から明治時代までの1200年間で、何度も肉食禁止令を出した。
以下は、肉食・殺生禁止令に関する主な律令を抜き出し、まとめたものである。
675年(天武四年)は、牛、馬、犬、猿、鶏といういわゆる五畜(仏教用語で「五畜」は「鶏、羊、牛、馬、豚」とも「牛、羊、鶏、豚、犬」とも言われている)の肉食を禁止した。禁止期間は四月から九月までの農耕期に限定されていた。文献综述
741年、牛馬の屠殺禁止令が出された。「牛・馬は人に代わって働いて人を養う大切なものだから屠殺することを許さず」と理由づけられている。また、毎月六斎日(仏教では毎月八日、十四日、十五日、二十三日、二十九日、三十日を六斎日として精進潔斎を行った)には魚漁殺生禁止すべしと言われていた。
752年、天下に殺生禁止令が出された。この殺生禁止令は、魚を捕ることも禁止している。当時、魚を捕って生計をたてている漁民がいたが、彼らのために米が配給されていた。
758年(天平宝字二年)の「殺生禁止令」では、これまで天皇への献上品として特別に許可されていた狩猟民からの猪と鹿肉の献上を、以後永久に停止する旨が述べられている。
1203年(建仁三年)、鎌倉幕府は北条政子の指示によって諸国に狩猟禁止令を発布した。
1685年(貞享二年)、江戸城中の調理に鳥魚類の使用が原則禁止された。同年、「鳥魚貝の食用売買い禁止令」が出された。これは食用としての鳥や魚貝類の生体販売を禁じたものだ。これに付随して、魚や魚貝類は放生すればよいが、鶏、アヒル、孔雀などのように野外に放すと生きていけない動物については飼育するようにと指示している。また、鶉、小鳥、金魚、昆虫などの売買も禁止した。