どんな国でも、自国の特色的な文化がある。人間の生活に一番密接なかわりのが食生活であるとは過言ではない。和食生活には、伝統的に主食と副食がある。米を主食として、野菜·魚·肉を副食とする。寿司は主食と副食を完璧に結びつける和食であり、伝統的な日本食文化の特徴をフルに表わす。
日本の食文化について、国内外の多くの学者が深く研究してきた、たとえば、日本の土田将也が『食から見た日本』という論文の中で、寿司の営養価値や日本人の飲食習慣を分析して、社会、経済という点から日本食文化の特徴を詳しく分析した。中国の趙麗君が『日本タテヨコ』という本の中で、寿司の発展や種類や作り方などを詳しく述べ、日本料理の種類から日本食文化を紹介した。
寿司は日本料理の代表として、日本の民族文化に融け込み、分割できない一部分になる。寿司がどうやって出現する、どうやって発展し続けているか。それからどのように日本の食文化を体現するかという疑問を抱いて、伝統的な日本食文化の特徴を探究しようと思う。
2 寿司とは何か
2.1寿司の起源文献综述
すしは、もともと魚を保存するために塩漬けや糟漬けにしたものだった。その後、ご飯を使って魚をおいしく食べるように工夫された。寿司は紀元前4世紀頃の東南アジアで誕生した。東南アジアの川魚の保存方法だったそうである。貴重なタンパク質をおぎなうため、米の中に塩味をつけた魚を漬けて発酵させた魚肉保存法だとされていった。本来は淡水産魚介類にご飯と塩を混ぜて自然発酵させた保存食だった。まもなくこの方法は中国に伝わったそうである。
寿司の語源は元々「酢」をまぜた飯「酢飯」というからきていった。この酢飯の「め」がいつの間にか無くなり「すし」と呼ばれるようになった。「すし」という漢字であるが、「鮨」・「鮓」・「寿司」というように様々な漢字が用いられるのが、これらはどれも当て字だった。二千年ほど前、すしは中国の漢字「鮨」と「鮓」で表わしたことがある。「鮨」は魚が旨いという意味で作られた漢字で、書物に初めて出たのは紀元前5世紀から紀元前3世紀にかけての中国の『爾雅』と言う辞書である。その中で「鮨」は塩漬けにした魚や貝類や肉、特に塩漬け魚と言う食品であることは紹介する。「鮓」は「乍」という字がモノを薄くの意味をもち、魚を薄くはぐという意味で創られた漢字だ。「鮓」が最初出現したのは二千年ほど前の『説文解字』である。それはご飯と魚と塩をミックスさせ、発酵させたことによって作った酸味がある魚を表す。
3、4世紀の頃、中国から漢字が日本に伝わってきた。「鮨」と「鮓」という字も伝わっただろう。この頃のすしは「なれずし」と呼ばれ、甘酢で味付けした米飯に開いた生魚を載せて一晩寝かせたもので、今の寿司とは随分イメージの違うものだった。それから、すしは日本で居を定め、深く根付いていた。この「なれずし」は日本寿司の原点だった。