しかし、日本動画産業の発展に従って、新興勢力として立ち上がっている新海誠は、現在最も注目される日本映画監督である。近年来、新興動画監督として、国内外で好評を博する。特に、新海誠の新作――『君の名は』が新海誠らしさ全開のまま、多くの人間を期待する作品がついに作り上げた。この映画は紛れもなく新海誠の最高傑作だ。
宮崎駿と新海誠は日本だけでなく、中国にも人気があるので、彼らの作品風格をより深く理解する気がすることになった。本文は中日両国の宮崎駿と新海誠についての研究成果を踏まえて、作品のテーマ、画面、言語特色、ストーリーから着手して、作品風格の異同点を分析してみようということである。
2宮崎駿と新海誠の創作背景
2。1宮崎駿
宮崎駿は日本の映画監督、アニメータである。1941年1月5日東京府東京市に生まれた。その時、第二次世界戦争が迎えた。戦争を避けるために、田舎に引っ越した。田舎に生活のとき、宮崎駿が大自然の美を感じた。これは後の作品が素材を提供した。高校3年生の時、日本初のカラー長編動画映画『白蛇伝』を見たあと、動画に興味を持ち始めた。アニメータになることにする。
大学は学習院大学政治経済学部に進学。大学で漫画サークルについてサークルがなかった。だから、児童文学サークルに参加した。学習院大学卒業後、東映動画に入社した。入社後に見たソ連製作長編動画映画『雪の女王』に強い感動を受け、アニメーションを一生の仕事にしようと決まっていた。1971年に高畑勲と一緒に東映動画を退社した。メーンスタッフとして参加した動画『アルプスの少女ハイジ』、これが宮崎駿の始めの成功だった。78年放送の動画『未来少年コナン』では、初めて監督を務めた。そして、79年公開の劇場動画『ルパン三世カリオストロの城』で映画監督デビューをした[ ]。でも、この映画が広く好評を博して、切符売り場がよくなかった。85年、徳間書店の子会社であるスタジオジブリの設立に参加し、86年に『天空の城ラピュタ』を公開した。89年に公開されて『魔女の宅急便』のヒットになった。97年に『もののけ姫』を公開して、スタジオジブリが最高峰に登る。2001年に『千と千尋の神隠し』を公開した。日本だけでなく、海外でも高く評価された。文献综述
2。2新海誠
新海誠は日本の動画映画監督である。1973年長野県に生まれた。1996年に中央大学文学部卒業。
卒業後は日本のFalconのゲーム会社に加入して、美術スタッフ、動画と宣伝映画を担当した。この間で、新海誠は個人動画短編映画『遠い世界』が創作することを始めた。2002年独力で制作した短編作品『ほしのこえ』でデビュー。これから、新海誠はみんなに注目を浴びる。2004年公開の初の長編映画『雲のむこう、約束の場所』がきわめて高い評価を獲得した。2007年に『秒速5センチメートル』を発表した。新海誠がすぐに人気になる。2011年に『星を追う子ども』では、画風が新しい変化がある。2013年に『言の葉の庭』では、国内外で高い評価と支持を受けている。2016年、『君の名は』を発表した。これが初めて製作委員会方式をとっている作品である。中国などのアジア圏、またヨーロッパ圏においても人気の映画になった。そして、原作本として自身が執筆した小説『君の名は』も人気がある本である。新海誠が絶えず賛美の中に新しい風格を試してみている。