しかし、こういうような川端康成と比べて、英語で『あいまいな日本の私』だと受賞講義した大江健三郎は対照的な存在だと思われる。大江健三郎はいつも物事を否定的に考えていく。彼の謙虚さと勤勉は人々に尊敬されている。しかし、『あいまいな日本の私』は違う。それは日本を嘆き、自分を恥じるもので、その時代の日本の悲しい知識人の姿――大江健三郎を代表していると感じられる。そこにこそ魅力があると考えている。
中国においては、莫言はすでに当代作家の中の模範だと言える。彼は『豊乳肥臀』によって、文学賞に受賞した。その前、彼は『透明な赤い大根』、『赤い高粱』をもって文壇にメキメキ頭角を現してきた。許氏という翻訳家によると、大江健三郎は莫言のノーベル賞受賞を予想していたそうである。1994年12月に、大江健三郎はノーベル文学賞に受賞した際、次に同賞に受賞するアジア人の作家は莫言だろうと述べていた。これは両者の文学を比較することに価値があるという根拠だと言える。
2 故郷復帰の根源
「故郷」という言葉を見て、みなはどのようなことが思い浮かんだか。「故郷」という言葉は生まれ育った土地を意味している。空間的なものだとしても、時間とも関係あると感じられる。だから、誰でも故郷に深い感情を持っている。故郷を離れれば離れるほど故郷が恋しくなるのが人情だろう。つまり、故郷は未練がましい所になるのである。大江健三郎も莫言も「故郷」というイメージを作品に書き込んでいる。それは故郷への思いで形成するに違いない。それに、少年時代の体験は人生に大きな影響があった。作家も同じである。2012年に、ノーベル文学賞に受賞した莫言はスウェーデンアカデミーでの受賞の席で、「物語を語る人」と題した講演を行った。講演では、彼が山東省高密県東北郷での少年時代の思い出に多くの時間を割いた。貧困や飢餓、孤独が、彼に暗い影を落としていたことが語られた。本章では二人の作家の少年時代の体験を辿ることによって、「故郷」への復帰は生まれた環境と少年時代の劣等感に関連するということを明らかにしてみる。
2.1 生まれた環境からの影響文献综述
生まれた環境が、人生を決めることができると思う。大江健三郎は、内子町を流れる肱川の支流、小田川の中流に位置している旧大瀬村の成留屋地区で生まれた。大江文学に描かれた山村から大瀬村を読み取ったのが大江文学の本源を探る重要な課題だと思う。ふるさとを描いて、こう書き始めたのは大江健三郎の芥川賞に受賞した作品『飼育』である。つまり、彼の作品世界の原点は、四国の森の奥の谷間や、少年時代を過ごした大瀬の森にあると言える。森は、多様性に満ちる小宇宙であり、彼にとって、そこは故郷のように、掛け替えのない場であるというわけである。そうした少年時代の原体験の場が、「彼の著作の舞台や基盤となり、またその創造力の源にもなっている」ということである。