2. 先行研究
現在、日本の歌舞伎と中国の京劇について、特にそれらの歴史や発展、淵源についての説明はよく目にする。また、その音楽、演目、隈取、舞台装置についての比較研究が大いに行なわれてきた。目を奪われた研究者達は、次々と『歌舞伎の起源と発展』、『歌舞伎と京劇ー道具をめぐって』等の本を書いた。私が調べた限りでは、歌舞伎の庶民性を詳しく述べたのは『歌舞伎の庶民性についての論述』という著作である。作者の周麗玫は歌舞伎の歴史、発展、支援団体、幕府による抑圧などの点から、歌舞伎の庶民性を詳しく論じた。
女形芸術については、「中国の京劇と日本の歌舞伎の役の比較ー女形を中心として」という論文がある。作者の樊天は歌舞伎と京劇の女形芸術について両者の発展や役の演技、美学思想、現状などを巡って論じた。
潘捷は『日本で、歌舞伎の社会的地位』という文で、歌舞伎が儒家思想の影響を大きく受けたと明瞭に論じている。中国の儒家思想は日本の思想文化に強い影響を及ぼし、260年余りに渡って日本を支配した江戸幕府は、更に朱子学を政治の基礎とした。
単に庶民性の歌舞伎に対する影響、或いは京劇に対する影響を叙した研究や、個別に両者の女形芸術を論じる研究もある。しかし、両者の庶民性、女形芸術、特に儒家思想の共通点を研究したものは少ない。歌舞伎と京劇は、社会の経済、政治、文化など諸要素の盛衰を演じているからこそ、生き生きとした歴史の真実を表現しているとも言える。よって、日本の歌舞伎と中国の京劇の共通点を探し、その歴史的要因も探究する。その研究を通して、我々の両国の伝統芸能に対する認識が更に深まるとともに、中日両国の歴史の理解も深まると言える。
3. 歌舞伎と京劇の庶民性
3.1. 歌舞伎の庶民性
歌舞伎は江戸時代初期に生まれ、江戸時代中期に完成した日本の代表的な庶民演劇である。1603年徳川氏による江戸幕府の成立は、中世末からの戦乱の世が安定の時代へ推移していくことを表す。幕府は、身分制度を利用し、農民や職人·商人を支配した。武士を最も上の身分とし、順に百姓(農民)·町人(職人·商人)とするもので、農民を職人や商人よりも上の身分としたのは、武人の生活が農民の収める年貢で支えられ、農民は国の元となる主要な産業と考えられたからである。このような身分制度を士農工商と呼ぶこともある。しかし、江戸時代は厳しい身分制度に縛られながらも、都市生活、交通、経済、教育などが発展した。特に、18世紀、貨幣経済の発展によって、町人(特に商人)の力が強まった。彼らは幕府や藩の御用商人となり、その財政を左右するほどの力を持った。農民は最も自給自足の生活に近かったが、貨幣経済が次第に農村にまで染みこむと、生産物を売ってお金を得る暮らし方に移っていった。また、江戸時代には、富裕町民が学ぶ学校である私塾や民間の初等教育を行う寺子屋が大いに発展した(寺子屋は、一般町民と農民が学ぶ私立学校である)。庶民の識字率はかなり高く、私塾という高等教育の場も発展した。江戸後期の識字率は全国平均50~60%はあり、これは世界の最高水準にあったと言う。これに加え、印刷術が開発され、木版刷りの技術が普及すると、出版業が盛んになり、職業作家が現れ、町人ものの文学、読み物が出版されるようになった。そこで、町人文化という新しい文化が形成された。町人文化の中から、小説·俳諧·歌舞伎·浮世絵などが生まれ、歌舞伎も江戸時代に盛んになった。