王倩の『1930年代日本侵华舆论研究』は主に1930年代を舞台にし、日本は中国植民地化させるためにどのように媒体を利用するかについて分析してくれた。そして媒体はどのように大正デモクラシーの一環から日本軍国主義の傀儡へ変化するかについてもそのいきさつを見せた。日本は中国進出のために、媒体のながれを導き、国民を騙し、30年代のはじめ、満州事変から媒体を統制しはじめ、30年代の後半、盧溝橋事変で完全に媒体を統制することになった。その統制の手法は言葉で表しつくせないほど多くて、厳しかった。戦争時期にわたって自分自身の侵略戦争を正当化し、国民の戦争への熱狂を維持する。戦争の後期国民からの反発を招くことにも及んだ。
陳力丹の『论二战中日本传播政策的法西斯化』は主に日本の媒体のファシズム化の過程を紹介してくれた。明治維新以来不完全な資本主義制度の中で、近代媒体の誕生、ファシズム化の発端、媒体統制の手段などを取り上げ、ファシズム化の過程を具体的に紹介してくれた。
上述の論文はどちらも優秀な論文であり、取材も論述もとてもよいといえる。しかし媒体自体の主体性にあまり着目しなかった。ここで媒体自体の主体性に着目し、第二次世界大戦において日本媒体は単なる被害者ではないことを打ち出し,並びにそのあり方を検討し、媒体の本当の姿を探りたいと思う。またはその主体性はどのように形成するかについても紹介していきたいと思う。これも本文の新しい視点である。
1.3 媒体の定義
媒体、あるいはメディア(media)とは、情報の記録、伝達、保管などに用いられる物や装置のことである。記録・保管のための媒体とコミュニケーションのための媒体とに大別することができるが、両者には重なりがある。『9』
『スーパー大辞林』では、媒体はなかだちをするもの、あるいは情報伝達の媒介手段となるもの。『11』
『现代汉语大辞典』では,媒体は『交流、情報を伝えるための道具、たとえば新聞雑誌、テレビ、放送など。』と解釈する。『12』
以上の解釈によると、『媒体』というものは情報伝達の道具である点では一致する。媒体には二つの意がある。一つは、情報を持つ物体、もう一つの意は、情報表現し、伝達する実体である。ここで第二次世界大戦を背景にすることから、主に新聞、ラジオなどの媒体を取り上げたいと思う。
2 第二次世界大戦において日本媒体のありかた
第二次世界大戦における日本の媒体はどんな様子であろうか。戦前の日本では政府の法律によって媒体は検閲されており、具体的な内容も軍や政府に制限されている。大正デモクラシーという時代まではこういう厳しい言論統制があまり行われなかったが、満州事変をきっかけに、軍や政府は言論統制のレベルをさらに増長させ、真正面から政府や軍のやり方を批判することがどんどん困難となっていった。とりわけ、日中戦争の勃発と国家総動員法の制定はそれを決定づけることになった。この点は当時唯一の放送機関であった日本放送協会(NHK)においても変わるところはなかった。『8』つまり、戦時の日本は言論統制を行っている。媒体としての存在は政府によって強く制限されている。新聞やラジオなど、当時の主な媒体は日本政府の統治の一環となっており、政府の指示にしたがい、経営を続けているわけである。表では、新聞やラジオなどの媒体は被害者のような存在であるが、真相は疑問である。