中国や朝鮮では、血脈による氏を尊重し、みだりに名字を変更しないのに対し、日本では、平安時代の末から中世紀にかけて、土地の開発や使用に伴って、一族の分家がその土地の地名を苗字として、本家は別の苗字を名乗った。この頃、ものすごい多くの種類の苗字が誕生した。ちなみに、地名から由来する苗字が、日本人の苗字の8割以上を占めると言われている。
中国の「姓名」と異なり、日本の「氏」、「姓」、「苗字」は違うものである。氏は天皇に与えられて、一族の地位と血縁を代表する呼び名である。「本姓」ともいえる。姓は国家で氏族の地位と職務を表示するのである。苗字は中国語の「姓氏」と同じ、家族に共通する呼び名である。
2 貴族苗字の由来と発展
2.1 現れた時間・背景
西暦四世紀の末、日本は大和政権による統一国家になったのである。その統治の基盤は天皇の親族関係を土台に形成された「氏」の制度であった。「氏」は住まい・官職・地名・神の名、それに技や技術から来たのである。例えば、祭司をやっている人が「忌部氏」と呼ばれていて、山名に住んでいる人が「山名氏」と呼ばれていた。「源」、「平」、「藤原」、「橘」は当時四大貴族の氏であった。その後、王朝に属する各氏が血縁関係の親疎・功と勢力の大きさなどを基準として「姓」を与えた。「姓」と書かれるけど、ただ地位や家族や職位を表示したものである。
人口がどんどん増えるとともに、氏のブランチも多くなった。それに、「苗字」が現れた。例えば、近江に住んでいる藤原氏は「近藤」、伊勢・加賀・遠江の人は「伊藤」・「加藤」・「遠藤」と呼ばれた。この時の氏は家族の血縁関係を表示し、姓は家族の地位を表示し、苗字は新たなブランチを表示することがわかった。しかしこの時代に氏・姓・苗字は貴族のみ持っていた。
西暦684年、大和政権が「八色の姓」と言う制度を制定し、姓を真人、朝臣、宿禰、忌寸、道師、臣、連、稲置の八つに分かれた。この後、「氏姓」が自体の意義を失った。