2 背景及びほかの文体との比較
2.1 背景
川端康成といえば、有名な作品となる「雪国」や「伊豆の踊子」や「古都」など人々に、実際には読んでいなくても、思い浮かぶ作品が多く、日本の世界に誇る作家だ。さらに、日本の歴史の上で、ファストノーベル文学賞の受賞者として、彼の文学作品は題材範囲が広く、頗る研究価値がもっている。
『掌の小説』は川端康成の掌編小説集で、川端が20代の頃から40年余りにわたって書き続けてきた掌編小説を収録した作品集である。一話の長さは、短いもので2ページ程度、長いものでも10ページに満たない短編小説が122編収録されている。なお川端の掌編小説の全総数は128編ほどになると言われている。『掌の小説』は1971年(昭和46年)に刊行された。1989年(平成元年)改版から11編追加されて122編の収録となった。
日本平安朝の物語文学の先駆のひとつとなった「伊勢物語」が実際に日本の”ショートショート”小説の最初の形だと思うひとがいる。「掌の小説」と題されている川端康成の作品群の中心をなすものは、当初「感情装飾」と題されて、大正十五年六月、川端康成の第一創作集として出版された。そして「掌」と言う語で象徴されるように、この極めて短い小説の形式はその後もさらに書きつがれて、昭和五年四月には「僕の標本室」という表題で出版され、のちに「掌の小説」として纏められた。
現在、「掌の小説」と一般に呼ばれるこの種類の小説を最初に川端先生は「短編」または「短編小説」と言い、この短い小説を書き始めたのは大正13年12月号の『文芸時代』に短編集を載せる時である。大正8年末、菊池寛を中心になった文藝春秋の影響を受けた。そのとき、「文芸春秋」に載せていた作品は主に短編小説で、大正13年の『文芸時代』にも短編小説を主に、それからの2年時間にも短編小説の創作が文伝で盛んになった。その前に、<文章世界>のように投稿に文章の字数を限るため、川端康成の短編小説の練習を積んでいた、川端康成の「掌の小説」が起こり始めたのはその原因のひとつである。それ以外に、川端先生は幼いころから日本の古典文学を好んでいたことにも関係があると思われる。
2.2 ほかの文体との比較
川端康成の『掌の小説』という題をはじめて見た瞬間、短い文しか思えない。けれども、短くて美しい文字を組み合わせた「掌の小説」は散文詩とケータイ小説によく似ている。しかも、区別するのが難しいともいわれるので、文体としてその特徴は何のでしょうかと「掌の小説」のことに興を持った。この論文では、散文詩とオンライン小説とケータイ小説の特徴を説明してから、「掌の小説」の特徴を研究してみた。
まず、散文詩である。我々が日常書いている文章(手紙、感想文など)は何の制限も受けない文で、小説やエッセイなど長さの制限も行数も文章の形も自由な散文であった。『掌の小説』はそれと違って字数が限られている。
「詩」には、二つの側面があるということは、古くから言われてきた。一つは「詩は音楽に憧れる」ということで、これは、詩の持つ韻律性、音楽的な言葉の持つ可能性を評価した側面である。しかし、他方、詩は、意や心の思いや、精神が入っているという考えもある。前の研究によって『掌の小説』もそういう音楽性を持っている。そういう部分が詩に似る。