『雪国』を中国語に訳した叶渭渠は、『日本人の美意識』で「『雪国』は余情美の上で、日本伝統の悲哀感と華やかさを結び合わせて、霞の向こうにあるような内緒的で感性的な美を描写した。消沈と悲しさのあることが否認できないが、心を洗って、きれいにする気持ちも明らかにしている。この小説の物事の進むことも登場人物の描くことも所々心からの美を強調している。」と言う言論があった。。
三島由紀夫は、「解説 雪国」(『日本の文学38 川端康成集』)で「定めない人間のいのちの各瞬間の純粋持続にのみ賭けられたやうなこの小説に、もし主題があるとすれば、この一句の中にある。(中略)それは女の「内生命の変形」の微妙な記録であり、焔がすつと穂を伸ばすやうなその「移り目」の瞬間のデッサンの集成である。駒子も葉子も、ほとんど一貫した人物ですらない。一性格ですらない。彼女たちは潔癖に、生命の諸相、そのゆらめき、そのときめき、その変容のきはどい瞬間を通してしか、描かれないのである。作中に何度かあらはれる「徒労」といふ言葉は、かうして無目的に浪費される生のすがたの、危険な美しさに対する反語である。」と書いた。
1。2 研究意義
『雪国』は川端のありがたい作品として、川端文学の研究に対しては大影響を持っている。本論は『雪国』を取り上げて、川端文学における「物の哀れ」を分析したいのである。自然描写、女性描写と死生観三つの面から述べて、人情美、余情美及び滅びの美を現われている小説を作ってあげることを研究したいのである。川端文学における「物の哀れ」の美意識を表現してみる。川端が「物の哀れ」を醸造するの最も重要な方法を討究することは本論の目標である。文献综述
2.自然描写に現われている「物の哀れ」
2。1 鋭敏な季節感と優雅な自然描写
日本列島は季節風帯に当たて、地形と気候の変化が大きく、豊かで多様性に富んでいる。一年の中で季節の移り変わりとして、多彩多様な変化を見せることも日本人の心理に影響を与える。だから、季節の変換に従い自然の変化を繊細に観察すると周りの物事に感動されやすいのも日本民族の特徴である。昔から、日本人は季節と自然の移ろいに鋭敏な感覚を持ち、そのとき感じる感情を抑えきれなく現わす伝統が伝えてくる。このような民族心理が日本文学にもはっきり反映できる。日本作家はそれらの作品に四季の美と自然美の表現に重視するとともに、いずれも自然環境と季節感に支えられている部分が多くある。
「四季の移りの折々の美を現わす言葉は、日本においては山川草木、森羅万象、自然のすべて、そして人間感情をも含めての美を現わす言葉とするのが伝統なのである。」 という川端は感性的で、『雪国』その作品の中に鋭敏な季節感と優雅な自然描写を収めた。主人公の島村は三度雪国に行った。「雪崩の危険期が過ぎて、新緑の登山季節に入った頃」 、初めに雪国に来た。二度目の時は、初雪が済んで、スキーの季節が到来する前の初冬の頃で、「国境の山々が見えて、その雪の輝きものどかであった。」 三度目雪国に来たのは、「蛾が卵を産みつける季節」 の晩秋のころから初冬のころで、「白萩らしい花が小高い山腹に咲き乱れて銀色に光っていて」 、「薄く雪をつけた杉林は、その杉一つ一つがくっきりと目立って、鋭く天を指しながら地の雪に立った。」 このことからわかるように、川端は四季の代表物を通って、季節の移り変わりを生き生きして描き出す。