2。3 文化背景
政治改革につれて、政府は日本の教育改革について様々な方針を設定した。教育の自由化のため、天皇陛下に人間宣言を出させ、神道に対する国家の援助を禁止した。また日本神話も否定された。それに、日本戦前の教育の基本は教育勅語と修身であって、これら日本精神を築いたものも否定した。そして、日本教育学制も6。3制を採用した。教育改革の方針は日本国民の思想を自由化のほうへ向かって進行させた。
また、昭和20年の敗戦後、文学領域はまず新戯作派が活躍した。なすことなく戦争への道を許した知識人の反省から、政治を超えた新しい文学の追求が雑誌「近代文学」を中心に起こった。新戯作派は無頼派とも呼ばれ、戦後の軽薄なモラルや既存の文学観に反発し、自虐的、退発的な態度であえて戯作的に表現した小説家たちのことである。太宰治はその時期の無頼派中の一人の小説家であった。無頼派が活躍したとき、道化の中に反俗の姿勢を示した太宰は世に知られた作品を書いた。『斜陽』はその時代背景下の作品である。
2。4 経済背景
『日本史』によると、ポツダム宣言受諾後、連合国軍最高指令官マッカーサーは東京に総司令部(GHQ)を置いた。日本の民主化を進めるためのいろいろな改革を行った。経済の民主化として、財閥解体・農地改革が行われた。また、労働者の権利を守る法律も定められた。
財閥解体については、連合国側は、財閥が日本の軍国主義を制度的に支援したと考えていた。財閥を解体することで日本軍を根本的に壊滅させられるとの認識だったようである。大戦以前の資本化勢力を除去し、経済民主化を目的とした。三井・三菱・住友・安田などの15の財閥に対し、その関係している会社・銀行・工場などを分割し産業の独占を禁止した。独占禁止法も制定され、経済の民主化が進められた。来*自-优=尔,论:文+网www.youerw.com
農地改革は政府が地主の農地を強制的に激安で買取り、小作人に売り渡したということである。農村では普通地主が小作人に田畑を貸し与え小作料をとっていたが、これを改めるため、政府は農地の改革を行っていたのだ。
『斜陽』には「お父上がおなくなりになってから、私たちの家の経済は、お母様の弟で、そうして今ではお母様のたった一人の肉親でいらっしゃる和田の叔父さまが、全部お世話してくださっていたのだが、戦争が終わって世の中が変わり、和田の叔父様が、もうだめだ」と書いた。かずこのお父さんとお母さんは貴族である。第二次世界大戦後、さまざまな改革に伴って、貴族が没落していた。