新潮文庫の中で一番売れたのは太宰治の『人間失格』であるそうだ。井上ひさしの『太宰治に聞く』の中で、「夏目漱石、富沢賢治と並んで、太宰治もいまでも現役だ」と書いてある。今日までも、毎年の「桜桃忌」に太宰治の墓に花を飾られているそうである。

伝奇的人物としての太宰治は魅力的で、平野謙をはじめ、いろいろな太宰論が書かれた。平野謙の『太宰治論』では、「太宰治はまず実生活を仮構し、それはふさわしい文学を虚構することで、芸術と実生活に一致を生みだした。」という評論が太宰の創作態度を示した。その創作態度は太宰治自身の告白を読んでもわかる。彼はいつも「人生をドラマと見做して、ドラマを人生と見做していた」と自分の一生をまとめたそうである。

奥野健男がかつて唱導したように「実際僕らの世代に与えた太宰治の影響は、一時代前、芥川龍之介や小林秀雄がその時代の青年に与えたそれよりも、更に深いものがあると思われる。それは文学志望の青年だけでなく、文学などに関心のなさそうに見える意外な人々が、太宰治に強く共感し、心の奥に秘めているのである。太宰文学は多くの青年の精神の形成過程にぬき難しい影響を与えているのである。」

中国では太宰論がまだ少ない。鄭世鳳は『人間失格』の表の必然と裏の反抗精神から、太宰治の精神の神髄を考察した。蔡晶純は「自我意識」「罪意識」を中心に、太宰文学における文学精神底流を解読した。

近年、日本で太宰治の作品『人間失格』が八百万部以上売れ、太宰式文学の

人気が高いということが分かるであろう。他の作家と違って、太宰の作品は若者に向かって発表する。『人間失格』は太宰治の代表作として、太宰の自叙伝と思われる。「消極厭世」、「罪の意識」、「死の意識」が主調である。しかし、「消極厭世」に隠している積極的な意識の観点が少ない。本稿は先行研究の素晴らしい評論を踏まえ、新しい角度に力を入れて、太宰治の「愛人心」を発見しようと思っている。

2太宰治の成長の過程

2。1家庭の背景

太宰治の本名は津島修治で、青森県屈指の大地主の家に生まれた。父親は県会議員、衆議院議員による貴族院議員をつとめた地元の名士であった。日本では家父長制がある故、長男だけが継承権を持っている。その故、第十の子供として生まれた太宰治は重視されない。

母親が病弱だったので、太宰治はほどなく乳母に付いた。一年のち、実家に身を寄せている叔母に預けられ、叔母の部屋で育てられた。叔母と寝食を共にして成長した太宰は実母の愛を恵まれなかった。母愛に乏しい太宰治は子供時代からますます繊細と敏感になってくる。また厳しい家風や、大家族の封建制などが絡み合って、太宰は父に対して恐ろしい印象を持っていた。特殊な家庭背景は太宰治な成長にとって重要な影響に与えた。 

2。2学問を探求する道

太宰治の学問を探求する道について、私は表1のような図表を制作する。

昭和十年

1935年 昭和五年

1930年 昭和五年

1930年 昭和二年

1927年 昭和二年

1927年

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