要旨「言語は社会文化の産物である。文化の視点から離れて考えると、本当の言語が見えない」と日本言語学者森田良行は述べている。すなわち、ある意で言えば、言葉は文化の外在表現の一つの方式として、その文化を反映するとともに、潜在的な民族性も表している。本稿は「すみません」の意や使い方などを分析し、対立の角度から、四点の日本人の民族性をまとめた。48454
キーワード:すみません; 多義性; 民族性;文化
摘要日本语言学家森田良行先生曾经说过,“语言是社会文化的产物。如果脱离文化这个概念来谈论语言,那么就无法理解真正的语言”。换言之,从某种意义上来说,语言作为文化外在表现方式的一种,在反应该文化的同时,也表现出了其相对应的潜在的民族性。本稿通过分析“すみません”的意义和用法之后,从对立的角度出发,总结出了日本人的四个民族性。
毕业论文关键词:すみません;词意多样性;民族性;文化
目次
第一章 はじめに 4
1.1研究動機と目的 4
1.2先行研究と本研究の立場 4
第二章「すみません」の多義性 6
2.1 語源 6
2.2意 6
第三章「すみません」からみる日本人の民族性 7
3.1「集団の重さ」と「個人の軽さ」―「和」意識 7
3.2「本音」と「慣用」― 「恩情」意識 8
3.3「積極的」と「消極的」―「責任」意識 9
3.4 「強い」と「弱い」―「恥の文化」 9
第四章 結びと今後の課題 11
4.1 結び 11
4.2今後の課題 11
参考文献 12
第一章 はじめに
1.1研究動機と目的
日本へ行くと「すみません」は実際によく見聞きするし、日本のドラマや、映画、小説などの作品においても、いつでも、どこでも、だれにでも、「すみません」は空気のように人々に使われている。つまり、「すみません」という言葉は日本人の日常生活に大変重要な役を演じており、無視できない存在であって、日本人の日常生活において、潤滑油のような役割を果たしている。それに加え、その一言で、人間関係が和やかになり、会話もスムーズに進展でき、見知らぬ人との距離感を縮め、いい人間関係を築き上げることができる力を持っていると言ってもいいほどである。
言語は人間の気持ちを表す術ばかりではなく、民族の性格、思惟方式などの文化意識も民族言語に潜んでおり、民族の言語は裏にその民族の独特な心理意識と文化を秘めている。そして、国々の歴史や社会規範などの要因のため、日本語母語話者ではない学習者の我々にとって、「すみません」は短い言葉であるが、豊かな意を持ち、そして、母語の影響を受けつつ、日本の文化、習慣などについて、まだ十分理解していない階段において、あるとき、「すみません」を聞くと、不自然で、違和感があると思うこともある。では、どんな場合に「すみません」を言うべきなのか?日本人はどんな場合で「すみません」を言うのか?日本人は何故そんなに「すみません」を多用するのか?