3.1『言海』について みんなが知っている通り、言海(げんかい)は、国語学者の大槻文彦が明治期に編纂した国語辞典。日本初の近代的国語辞典とされる。 『言海』明治22年(1889)~24年(1891)刊。初版は4冊本で展示本は合1冊の後版。本文約1100頁、収録語39103 語。 [4]ウェブスターやヘボンの辞書を参考に大槻文彦(1847-1928)が独力で編纂したもの。出版にいたるまでのさまざまな困難を記した巻末「言葉のうみのおくがき」は必見。本邦初の本格的国語辞書として、そのあとの辞書に引き継がれた特色は、
(1)基本語も含めた普通語をおもとする事(従来は雅語が主)、(2)五十音図の配列、(3)近代的な品詞の分類、活用を示したこと、(4)段階的な語釈、(5)用例の収録、など。 『言海』は明治期における「語と語との結びつき」を積極的にいかしながら編纂されている。同時期に刊行されている複数の辞書の記事を重ね合わせていく。[5] 大槻文彦の『言海』は近代国語辞書の先駆をなすものとして、本邦辞書史上に大きな位置を定めると同時に、国語資料としても一級の価値を持つ。この点『言海』の内容の成立過程の解明は、辞書史のみならず、国語資料論としても重要な意を持つものと考える。 『言海』の巻頭には、言海序、本書編纂ノ大意、語法指南(日本文典摘録)、凡例、索引指南が載っている。「言海序」西村茂樹によるもの。漢文である。「語法指南(日本文典摘録)」は七九ページに及ぶ国文法概説である。執筆の由来は「本書編纂ノ大意」の(四)にかかれていた。《文法を知ラザルモノ、辞書ヲ使用スベカラズ》――とは言うものの、品詞の種別や何やかで《判定》に苦しむこともある。それゆえ自分で新たに《文典》を編んでみた。この《文典》は西洋の文法のスタイルに合わせて日本語を説明しようとした。そういう概説は当時珍しかったらしく、「語法指南(日本文典摘録)」のみを欲しがる人が大勢あらわれた。そこでその部分だけの抜刷のようなものを作り、一冊の本として別に販売することになった。その単行本「語法指南」の初版が出たのは明治二十三年十一月一日付で、『言海』の初版(四分冊)が出るよりも前である。それくらい注文が来たらしい。単行本「語法指南」の巻末には発行者(小林新兵衛)による刊行由来の記のようなものが載っているので、摘録してみよう。 ――本書はもともと 《日本辞書言海の付録》だったが、《世上に日本文典の良書無之故に哉〔、〕諸学校にて此語法指南の部を教科参考に称賛採用可相成趣にて別に此語法指南のみを購求致度旨度々注文相受候》。大槻文彦先生にそのことを申し上げたところ、「これは元来『言海』を使う人のために書いたものだあるし、『日本文典』を後日出すつもりなのだから……」と断られた。しかし《注文続々有之》というありさまなので《再三先生に懇願仕遂に強て許可を得て》ようやく発売に至ったのである、念のため……「語法指南」は「日本文典」の摘録ということだったが、大槻文彦がこのあと出版した文法書は『広日本文典』という題になった。『言海』が完結してから六年後の明治三十年に出ている。1897年刊行の『広日本文典』以降、多くの文法教科書の編纂や監修携わっており、内容についても一部に大きな変化が見られる。 「いわゆる五十音図にそった、ア行のアに始まりワ行の後に添えたンに終わる仮名あるいは音の順序。アイウエオ順とも。順序づけ特に辞書の見出し語の排列に用いられる。五十音引きの国語辞書は、15世紀成立のものを最古とするが、一般的になるのは明治半ばに大槻文彦の「言海」が出て以後。一般に五十音図に示されない濁音などの扱いが問題になるが、それらは普通次のように排列される。……」 「日本語教育事典」大修館書店483ページ 「ヴォイスという用語は、英文法家の間でも、必ずしも一般的ではないが、日本文法では、あるいは「態」、あるいは「相」という用語が当てられて、そのような概念の必要性は認められても、なお文法用語として定着していない。大槻文彦は「口気」と訳すべし」と言いながらそれが「二様に分かれて」「能相(ハタラキカケ)」、「所相(ウケミ)」となる、とした。…」 「日本語教育事典」大修館書店192ページ 日语论文大槻文彦与《言海》及意义(3):http://www.youerw.com/yingyu/lunwen_42249.html