狐は、文学作品によく出てくる動物で、神様、人、鬼とは違って、特殊な存在だと思われる。古来、中日の人々は狐に対して特異な感覚や信仰をもち、いろいろの俗信や説話が伝承されてきた。狐信仰は、古くから伝えられてきて、いまでもまだ盛んでいるところもあるという。
中日を問わず、動物の中で、狐のごとき、十分に文化的な意が与えられたものは、なかったといえよう。中国人の目に映る狐、特に九尾の狐は、そのイメージがあまり良くないだろう。中国の神話にはよく狐の姿が見える。九尾の狐と言うと、腹黒い化け物や、男を誘惑するあだっぽい女といったような悪いイメージが浮かび出した。しかし、日本では、キツネも狸同様、化けて人を騙すと考えられてきた。狸が「大入道」や「高僧」など男に化けるのに対し、キツネは「女」に化ける。火と関係が深く、夜、山野に見える怪火を「キツネ火」という。キツネ火が連なって嫁入り行列の提灯のように見えるのが「キツネの嫁入り」である。「キツネの嫁入り」はまた、日が照っているのに雨が降ることも指す。狐が日本人に崇拝され、愛され、神秘的な存在とみなされている。狐に関する神社もいっぱいある。
本文は日本の狐についての伝説や俗信、狐のイメージの移り変わりを探って、日本人の狐信仰の表れとその形成原因を探求し、現代における狐信仰の生き残りを究明しようと思う。そして、この研究を通じて日本文化、歴史と日本人の考え方をよりよく理解したいと思う。
第一章 日本における狐の伝説とそのイメージの移り変わり
1.1狐に関する伝説
キツネが霊獣として伝えられる歴史は非常に古く、『日本霊異記』[4]に、すでにキツネの話が記されている。美濃大野郡の男が広野で1人の美女に出会い、結ばれて子をなすが、女はキツネの化けた姿で、犬に正体を悟られて野に帰ってしまう。しかし男はキツネに、「なんじ我を忘れたか、子までなせし仲ではないか、来つ寝」[5]と言った。なお、『今昔物語』にもこの話は収録され、キツネの語源としている。
キツネにまつわる俗信には、日暮れに新しい草履をはくとキツネに化かされるというものがあり、かなり広い地域で信じられていた。下駄はもちろん靴でも、新しい履き物は必ず朝におろさなければならないとされ、夕方、新品を履かねばならないときは、裏底に灰か墨を塗らねばならないといわれている。
キツネに化かされないためには、眉に唾をつけるとよいというが、これは、キツネに化かされるのは眉毛の数を読まれるからだと信じられていたためである。真偽の疑わしいものを「眉唾物」[3]というゆえんである。
また、得体の知れない燐光を「狐火」と呼び、「狐に化かされた」として、説明のつかない不思議な現象一般をキツネの仕業とすることも多かった。しかし、化けるにしろ報復譚にしろ、キツネの話はどこかユーモラスで、悪なる存在というよりは、むしろトリックスター的な性格が強い。中には法話や俗信では説明のつかない、比較的新しい伝説や伝承も存在する。大阪府の松原市には、戦後しばらくの間まで人に混じって、化けた狐たちが生計を立てていたという伝承が残っている。彼らは人々と良好な交流関係を保っていただけでなく、姓と名を持ち、住民として住民票が交付されていたという。
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