春秋戦国時代の江南文化の日本への輸出要旨近年,稲作中心の弥生文化は直接長江流域の呉•越から列島に流入したという説が明らかにされている。日同調査団山口敏団長は「稲作文化の中心は長江流域。渡来系弥生人を北アジア的とする通説に修正が必要ではないか」と指摘した。51650
本稿では、中国の春秋時代(日本の縄文時代末期から弥生時代前期まで)を対象とし、同時期の日本人の風貌から生活習慣・生活様式・精神性に至るまで、江南人との共通点を持ち合わせていることと江南文化の日本への輸出を明らかにするものである。
キーワード: 弥生文化;春秋時代; 江南人;稲作農業;東渡
春秋战国时期江南文化对日本社会的输出
摘要近年来,有学说认为以水稻种植为中心的弥生文化是直接由长江流域的吴越地区流入日本列岛的。其中,中日共同调查团的山口敏团长就曾指出“稻作文化的中心就是中国的长江流域。渡来系的弥生人是来自北亚的这个共识有必要进行修正了。”
本稿以中国的春秋战国时期(即日本绳文末期至弥生前期)为研究对象,从风格面貌到生活习惯、样式以至于精神层面探究同时期日本人与江南人所具有的共同点,并在此基础上探明当时江南文化对日输出的具体情况。
毕业论文关键词:弥生文化;春秋时代; 江南人;稻作农业; 东渡
目次
1. はじめに 1
2. 先行研究 1
2.1 江南文化の特徴 2
2.2 弥生人と江南人の関わりおよび現代の研究現状 2
3. 春秋戦国時期江南人の東渡 4
3.1 政治の動乱と東渡 4
3.2 東海航線 4
4. 稲作農業における日本への輸出 6
5. 宗教風俗における日本への輸出 7
6. おわりに 9
参考文献 10
1.はじめに
倭人は古来より、中国人の影響を色濃く受けていた。本稿では、古代の中国人は、倭人にどんな影響をもたらしたのかを考えてみたい。
紀元前8世紀か恐らくそれよりもっと以前から、中国大陸から日本列島への大規模な移住や民族大移動は滞ることなく行われていたようだ。
渡来人とも呼ばれる弥生人の発生源の1つが、呉・越と呼ばれ、中国東方の沿海地方にあったことは、米のDNA分析、弥生人と呉越地方人の骨格の比較分析、遺跡から出土する遺物の比較などからも明らかである。
魏書の「倭の風俗は儋耳・朱崖に似ている 」や晋書にある「倭人は呉の泰伯の末裔を自称 」との記述からも、少なくとも一部の倭人は、呉越地方から渡ってきている事に間違いはないように思える。
呉人は三国志の魏・呉・蜀の、呉に住んでいた人々であり、孫権の出自に呉人が無関係だとしても、呉が中国人の歴史の一部で、中国人を構成する民族だったことは、倭人の一翼を担った弥生人の一部は、元々は呉人だったとの解釈も可能かもしれない。
日本の伝統衣装の一つである着物の別名が呉服であることは、昔の影響が今に伝わっている証である。同じく日本の文化の代名詞的な役割を果たしてきたものに、歌舞伎がある。歌舞伎の起源は猿楽で、猿楽の起源は伎楽と言われる。日本書紀によれば伎楽は、612年の推古天皇の時、百済人摩之(みまし)によって呉の国から伝えられた呉の文化ということで、呉と日本文化とは、切っても切り離せない関係である。
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