1.1日本像とは
日本像とは、文字通りに、日本に関わる像である。像という言葉は、広い範囲を含め、デジタル大辞泉[2]の解説には、以下の解釈があった。
①目に映るものの姿・形。
②思い描くイメージ。
③実物をかたどってつくったもの。
本論文で検討する日本像は、日本が中国人の目に映る形象と心に刻んでいるイメージである。人々は、風景を見たり、文化を体験したり、コミュニケーションしたりするなどの方法を通じて、ある国の形象を印象に残している。よって、本論は、映画を媒体として、その中に出ている典型的な日本の風景、文化、建物、生活様式と当地の人とのコミュニケーションを挙げたい。
また、日本像と日本人像との違いについては、様々な先行文献によく出ているのは、日本人像で、中国映画の歴史の流れで、日本人像の変化を中心に研究している。本論文における日本像は、人像だけではなく、もっと広い範囲を取り扱う。しかし無論、日本人像の研究を離脱すると、日本像を分析することも難しくなる。
さらに、映画は人々の見方にもある程度に反映されるものであり、同時に、視聴者に一定の影響を与えるものである。少なくとも脚本を書いた人、監督の思いは映画を通して、視聴者に伝えられるというものである。また、本論文に取り挙げられた映画の中の日本に関わるシーンを一つ一つ全て挙げることは不可能であるが、その中の一部を例として挙げる。
1.2本稿の目的と方法
本論文は、中日の学者の先行研究を踏まえながら、1990年から2006年までの映画の中の日本像をまとめ、2006年から2015年の十年間の日本像と比べ、何か新しい日本像が出てくるか、映画で日本像をどう描いているか等の変遷を明らかにしたい。そのために、2006年から2015年までの最近10年間に中国大陸での興行収入が中国映画全体の興行収入ランキング上位10位までに入る中国映画(大陸・香港・台湾、あるいはそれらの合作等をすべて含む)を範囲として、日本像を含んでいる映画を一部選び出して、この十年間に、中国映画は、どのように日本像を描いているのか、中国の人々に日本像についてどのような情報・イメージを与えたのか、といったことを明らかにしたい。
2. 1990年〜2005年の映画に出た日本像
2.1 なぜ1990年からなのか
「中国映画の歩み」(佐藤忠男、2006)では、20世紀の中国映画史について、以下のような九つの時期に分けている。
第一期映画の草創期、第二期1930年代の初め、第三期1937〜1945年、第四期1946〜1949年、第五期1949〜1965年、第六期1966〜1976年、第七期1977〜1984年、第八期1985〜1990年代中盤、第九期1990年代中盤〜現在(2006年)
本稿では、主に1990年以降の映画を対象とする。理由としては、1990年代から中国映画は世界で高く評価される時代に入り、陳凱歌、張芸謀といった「第五世代」と呼ばれる監督たちの才能も、中国国内だけではなく、海外でも認められていたからである。「第五世代」の登場をきっかけに、中国映画は飛躍的な発展を開始した。この時期からの映画は、題材が多元化になり、視点が以前より広くなり、視聴率も大幅に上昇した。更に、それ以前の映画は、様々な原因で、描かれた日本像は非常に限られ、ほぼ同じようなものと言えるので、本稿は対象としない。