2。鉄道と観光
2。1鉄道と観光開発の歴史
日本では1872年に、新橋〜横浜間に鉄道が始めて開通して以来、鉄道の発達は国内観光地の開発と密接な関係を持って展開してきた。すなわち、国内観光地の開発は鉄道網の整備と時を同じくして進められてきた。鉄道網の整備は、富国強兵や殖産興業が大きな目的ではあったが、一方では観光地の発展にも大きな影響を及ぼしてきた。论文网
江戸時代から有名社寺へ参詣は、当時の大衆にとって最大のレクリエーションであり、最大の観光であった。また、社寺参詣後の温泉の湯治も観光の一環として行われていた。このような観光客のニーズに合わせて鉄道の整備が始まった。1880年から1890年代は、都市と観光地を結ぶ路線は民間によって建設がスタートとした。1889年に讃岐鉄道が開通して金毘羅参詣が、1897年に成田鉄道が開業して成田山新勝寺参詣への輸送の便利性がそれぞれ向上した。1900年代に入ると、新たに多くの観光客を誘致できるような観光地ができた。
民間鉄道は大都市近郊で海水浴場や遊園地を自らの観光資源として経営し、これによって観光客の誘致を図った。多くの民間鉄道は、創業当初から観光地形成を目的に鉄道を建設して鉄道網を整備した。その後、都市と観光地との間に特急列車が運行され、大量高速輸送としての鉄道の特性が発揮できるようになり、観光地の振興に貢献した。
阪神電気鉄道は、1914年に宝塚少女歌劇の公演をスタートさせ、その劇場を観光拠点として位置づけ、鉄道の利用促進を図った。さらに、1924年から1932年にかけて甲子園野球場、プール、遊園地、動物園等の総合レクリエーション施設を誘致し、その地位を築いた。
1910年代後半から1920年代には、自然景観保護活動が広がっていく中で、生活スタイルに旅行とレクリエーションが定着し、家族、グループを中心とした団体旅行が増加した。このような中で、東武鉄道は日光地区への観光客を誘致するため、1929年に浅草から日光までの直通電車を運行した。1935年には、関東地区の私鉄では初の浅草から日光、鬼怒川への特急電車による直通運転も開始した。さらに、中禅寺湖、湯元温泉などへの交通網整備も進め、奥日光も含めたエリアを東京からの一大観光地とした。この時期、観光開発を主体に経営を展開した鉄道は、黒部峡谷による宇奈月温泉の開発、長野電鉄による志賀高原の開発、富士山麓電気鉄道による富士五湖開発などがあげられる。また、日本では山岳そのものが信仰の対象となることが多いため、山上への社寺参詣ゆそうを目的とした観光用登山鉄道が登場した。1918年には生駒鋼索鉄道が最初に開業している。翌年の1919年に開業した小田原電気鉄道(箱根湯本〜強羅間)は急勾配を走る登山鉄道として人気を集め、芦ノ湖、大涌谷などの温泉観光地への利便性が大きく向上した。
1939年代前半まで盛んとなった観光地域の開発は、第二次世界大戦により一時中断することとなる。戦後を迎えると、高度経済成長と共に観光開発は再び積極的に行われるようにな
り、1950年代には交通網の整備と観光地域とはさらに目密接に結びつくようになっていった。
1961年には、約2年の工事期間を経て伊豆半島の東海岸に伊豆急行が伊豆から伊豆急下田まで開通した。これに伴い、東京から熱海を経由して直接国鉄伊東線に乗り入れ、伊豆急下田まで直通運転が実現した。その結果、伊豆半島の観光開発は一気に進行することになった。また、1970年には近鉄から宇治山田から鳥羽を経由して志摩半島の観光拠点である賢島まで工事が完成した。これにより、近鉄は名古屋や大阪から賢島までの直通運転を開始し、伊勢志摩地域の観光開発が大きく前進した。