2 日本の多国籍企業の特徴と発展
多国籍企業という表現に示される形態は、国によって違う特点があるが、次の点のように、戦後に固有の特徴がある。
第一、その在外活動が、規模の点でも広がりの点でも、戦前とは比較にならないほどの水準に発展している。在外売上高の比重の大きさ、また進出国の数の多さが、それを示している。
第二に、このような在外活動の拡大は、それを保証する政治的・経済的安定性、その拡大の前提としての商品、資本移動の自由化が、いわゆるパックス・アメリカーナを頂点とする世界秩序の展開によって初めて可能になった。第三に、このような第二次大戦後の変化に規定された在外活動の水準の高さに対応して、企業の経営戦略も組織も以前にもまして国際化して、「多国籍」という表現にみられるように、従来とは違う新しい形態に編成された。
そして、日本に多国籍企業の特色の一つは、官民の密接な連携である。
3 日本企業の海外進出 3.1 海外進出の発展過程
日本企業の対外進出は、敗戦によって在外資産を没収され、旧植民地との関係も切られた上、占領軍によって対外投資を一定期間禁止されていたもあって、その再出発は遅かった。しかし、日本はアメリカの作り上げた国際秩序を利用し、その庇護の基にいわば随伴者としてその支配の隙間におずおずと進出していきた。
そして、日本の場合に、日本の多国籍企業は戦後50年代から再開された。同じく、日本企業の対外進出も、1951年再開された。それから、60年代に入って徐々に本格的な展開を見せ始めたこの過程は、1973年のオイル・ショックを契機に一時停滞したが、1978年以降再び急増傾向を見せ始め、特に80年代に入って進出史上未曾有の水準を達成し続けていた。
具体的に言うと、日本の直接対外投資は、1949年制定の外国為替管理法によって大蔵省の規制下におかれていた。1950年年代後半に入ると、経済発展の加速と高速経済成長段階入りを反映して、総合商社による海外処点開発投資が活発化し、特にラテン・アメリカ全域の中心都市に支店の開発をみた。1960年代後半になって活発化するわけであるが、1968年には極めて画期的な海外投資残高を記録することになった。単年度だけでも5億5700万ドルを記録し、そこ額は前年度(1967)の2億7500万ドルの約2倍であり、残高総額は19億7200万ドルに達したのである。しかし、1973年のオイル・ショックで景気後退の波に洗われ、企業倒産が続出し、海外投資が激減した。が、第1次石油ショック以降、日本企業は「減量経営」と雇用調整によって困難を越えて、省エネ製品を積極的に開発して世界市場に拡大だいた。そして、産業調整も迅速に実現し、マイクロ・エレクトロニクス(ME)技術を活用して、日本企業は急速に国際競争力をつけるようになったのである。そうすると、日本企業の対外投資は1978年第2次石油ショックをきっかけにもう一度急速に成長になった。80年代に入ってから、より一層発展した、さらには、1985年のプラザ合意で円の対ドル価値の上昇や、国内経営コストの上昇などの原因で、日本企業の海外投資意欲が空前に高まっていた。文献综述