数ならぬ方にても、ながらへし都を捨てて、かしこに沈みゐしをだに、世人に違ひたる宿世にもあるかな、と思ひはべしかど、生ける世にゆき離れ、隔たるべき仲の契りとは思ひかけず、同じ蓮に住むべき後の世の頼みをさへかけて年月を過ぐし来て、にはかにかくおぼえぬ御こと出で来て、背きにし世に立ち返りてはべる、かひある御ことを見たてまつりよろこぶものから[ ]
と尼君は明石の入道が山奥に姿を消したと聞いて、地方での生活を回顧しながら極楽での一蓮托生を願っている場面がある。
同じような用例は筆者が調べたところ、前の二例も含めて計八例となっている。並べれば以下のとおりである:文献综述
「若菜下」巻に、もののけに遭ってかろうじて命を取り留めた紫の上が詠んだ
消えとまる程やは経べきたまさかに蓮の露のかかるばかりを[ ]
に対して、源氏は彼女のはかない命を心配しながら
契りおかむこの世ならでも蓮葉に玉ゐる露のこころはだつなと答え、積極的に蓮の上で二人が永遠に結ばれてゆくことを願っている。
「鈴虫」巻の最初のところ、夏ごろ、女三の宮が持仏開眼供養の準備をしている間に、盛んに咲いている蓮の花を見て、昔の鴛鴦の夢の跡の仏の御座みざになっている帳台が御簾越しに眺めることも源氏を物悲しくさせ、源氏は