う設定である。彼らにとって地球人は弱者であり、侵略宇宙人による地球侵略は、弱者への迫害だということができる。そして、そういう弱者の地球人を救うために侵略宇宙人と戦うウルトラマンの戦いは「弱きを助け強きを挫く」というべき行為なのである。だからこそ、視聴者はウルトラマンを英雄として認めて、エールをおくるのである。
『帰ってきたウルトラマン』の『怪獣使いと少年』は、人種差別を批判して、人権派のテーマの作品だ。筆者に解釈している。実際、主に少年をイジメるのは不良のグループであり、この回での少年や宇宙人を迫害する人間は、必ず善良な市民として描かれているわけではなかった。怪獣を倒すため、即ち人間社会の平和を守るために使ったゲンの超能力が、かえって人間の社会のやり方、人間社会の秩序を乱してしまうというのは皮肉である。『ティガ』の『拝啓ウルトラマン様』も、ウルトラマンの超能力が社会の秩序を乱す、というこれと同様の問題提起を行っているのが興味深い。
アニメを日常に取り入れること、子どものやる気や興味を引き出す事、絵本や紙芝居を子育てに取り入れること、親子の絆をより一層深める事等、アニメには様々な効果が期待されているものである。しかしながら、アニメには子どもに相応しくない場面を含んだものもあり、子どもが暴力的になる事や喧嘩がエスカレートする事に繋がる等の危険性を秘めていることも事実である。子どもであろうと大人であろうと、そこでの時間は常に有限であるのだから、子どもとて何かしらの物差しと価値判断基準を持ち出して、そこで出てくわした番組に対し「この先観続ける毎週の楽しみ」になれるか否かの取捨選択をしなければならない。子どもは大人よりもずっとドライだし、「子ども騙し」には騙されないのだ。すなわち、アニメの効果や悪影響を大人がしっかりと理解して、子どもが正しくアニメを楽しめるような環境作りをすることが私たち大人の今後の課題であり、それがアニメ文化を後世に変わらず伝えていく懸け橋に繋げていく為に重要なことなのではないだろうか。
数多くの研究者達は暴力アニメが子供への影響、ウルトラマン中でのアニメスーパーマンへの崇拝などで視点に着眼し、論文を書き上げていた。ここで、私は日本の英雄型作品「ウルトラマン」と青
少年の価値観教育への影響について考察してみたい。英雄型作品「ウルトラマン」は青少年の価値観教育にどんな影響を与えるか、一度研究してみたい。
2。 「ウルトラマン」文化と青少年生活の融合
第二回世界大戦以来、漫画などの作品は日本社会での地位と国民への重要性がずっと変わっている。次第に、青少年の生活中に欠かせない必要品になった。
日本アニメなどの作品の体裁が広くて、内容がおもしろくて、鮮明な色彩はもっているからこそ、視聴者の年齢にもかかわらず、みんな好きになるようになった。それから、日本作品は盛んに発展している。
私達が思う『いい作品』って、人の美徳を引き出す、あるいは気づかせるものだと思うんだ。その人の美徳に自ら気づいてもらうためのきっかけである。それを引き出そうと思うと、表面的なハッピーエンドにはならない。人の美徳というのはもっと奥の深いところにあるので、それを引き出すには、ハッピーエンドという一つの形式が邪魔になると思うんだ。だから、本当はからかっているわけでも、絶望させたいわけでもない。