一人の日本語学習者として、大学の四年間、私はたまに日本人と付き合って、交流の中で、私も日本語には一つのとても特異なところがあると感じた。それはご存知のように、日本人は直接に物を言うのではなく、非常に曖昧で婉曲な表現を好むことである。同じ言葉であっても場合によってはまったく正反対の意になったりすることもある。初めのころは、日本語の曖昧表現にはとても困惑と感じ、甚だしきに至っては、日本語勉強の障害になっている気がした。しかし、日本語の勉強をしているうちにこの曖昧な交流方式と言語表現はだんだん私の興を引き起こした。私はこの曖昧な言語を使う日本人の心に対して、好奇心を持つようになった。同時に、日本語の曖昧表現に関するところをもっと了解したくなった。この理由は自分の興から出発するけれども、日本語学習者にとっては、これは日本語の曖昧表現の利点ではないかと考えられる。しかし、何もかも直接には言わず、曖昧に表現する日本語には本当に悩んでいるところも避けられないことである。この学習の問題を効果的に解決するために、日本語の曖昧表現、日本人の心と日本文化について、更に研究をする必要があると思う。これも卒論のテーマを決める理由である。また、中国でも、この曖昧表現に似たようなものもある。しかし、中国人は毎日のように曖昧な言葉をするわけではなく、特定の場合に限ってこのような曖昧な言葉をするし、そして言葉の上で曖昧表現の形式も少ない。これは両国の違う所かも知れない。では、日本語の曖昧表現に比べて、何か同じところがあるか。この曖昧な言語を使う時、両国の国民の心はどのような異なったことがあるか。
最近日本語を勉強する中国人がますます多くなってきているが、漢字や文法などのようなところは、大多数の中国人にとって、大した問題ではないが、しかし、日本語も日本人も、直接じゃない、日本人と交流する時、なかなか真意が通じなくて、あんなこんな問題が出てき来る。実際中国人が困ったのは、やはりこのような日本語のいろいろな曖昧表現なのである。だから、日本語におけるいろいろな曖昧表現やそれが頻繁に使われている原因をよく知りたい。それから、このような曖昧な言語を使用する日本人のどんな国民性と精神世界を反映しているか。また、曖昧表現は、ある一時期の製品ではなく、一つの長期的な過程であると思うが、では、曖昧語の発生と使用はいったい日本社会と日本文化の何を反映しているか。以上の問題を解決したいと思う。そして、日本語の曖昧表現をよく理解できるのは、日本人の心と社会意識を理解することにつながっていると思っている。
この論文は主に三つの部分に分けて論述していきたいと思う。第一は、曖昧表現の種類、原因と作用。第二は、曖昧表現に現れた日本人の心と社会意識。第三は、曖昧表現に対する態度。この曖昧表現の三つの方面を明らかにするために、この研究を行ってみる。
第一章 日本語の曖昧表現について
1.1日本語の曖昧表現の種類
1.1.1多義語の表現
多義語は、1語で二つ以上の意を表す語のことである。このような単語と表現が日本語の中には多い。これは日本人特有のものだが、私のような外国人にとって、それを理解するのはたいへん困難である。例えば、「どうも」はよく日本人に使われている言葉である。「どもありがとう」、「どもすみません」、「先日はどうも」など多くあるが、主に三つの意がある。
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