この『李陵』は中島敦の遺作であり、集大成の作品と評価されている。漢文素養の高い中島敦は中国の古典文学に材をとり、それに魂をいれ、自分の特徴のある小説を作り出しているのである。中島は『李陵』の人物造型のについていろいろな工夫をしている。彼は原典の中の人物をそのまま『李陵』に移したのではなく、ある程度の改作と独創を加えた。『李陵』は人物の造型から、人物の心理描写や物語の筋に至るまで、作者が心血を注いで書き上げたものと言える。作品に自分なりの理解を加えて古典の物語を再創作した点が特色である。これこそ、中島の作品が生命力を与えられ、今日に至っても現実的な意を持っている理由である。
1.2 先行研究
先行研究を見てみると、中日両国の研究者たちは中島敦の中国古典文学から取材し創作した作品についてすでにある程度の検討を行ったということがわかる。調べてみた限りでは、『李陵』についての研究も非常に多くある。しかし、大部分は中島の自己探索、不安意識、自己意識、運命意識それに自己受難等の作者の精神面からの研究である。
山東大学の郭玲玲氏が中島敦の「初期作品の人物像」と「作家世界と現実世界における中期作品の人物像」と「晩期作品『李陵』の人物像」との三つ部分から、中島文学の「己とは」の精神のつながりとその価値を述べた。「己は何か」、「己は何処から来たのか、何処へ行くのか」という人間存在の基本に関わる問題を提示していた。「それに、どの作品にも、自分内部の充実、『生への熱情』[「」内の「」は『』にすること。]に対して激しい希求が一本の矢となって貫いている」と述べている。郭の研究では、『李陵』が中島の晩年時期の作品の代表として詳しく分析されたが、主には、人物像から中島の精神追求を検討しているため、漢学について内容は少なくない。
上海外国語大学の王琴氏は「中島敦『李陵』に見る自己受難と自己救済」を研究課題にして、中島が『李陵』の登場人物を選択、創作する意図を分析した上で、『李陵』のテーマを探求している。『李陵』の取材から、人物造型に加えられた改作や創作、それに人物の心理描写(特に人物の苦悩)の創作や筋の改作まで、中島は意志的に人物の苦悩を印象付けて、人物の自己受難を形成させた。かくして、物語の叙説を自然にさせ、『李陵』全編の筋もつないだ。西北大学の慶奇昊氏も「中島敦の文学における『不安意識』『山月記』と『李陵』を中心に」で、『李陵』の中にある不安意識について分析している。
『李陵』は中国の『史記』、『漢書』、『文選』など三つの作品から取材したものである。[意が取れない。]中島敦はこれらの文献に基づいて自分の考えを加えながら、拡充、再創造した。今まで、『李陵』の典拠との比較研究や『李陵』の三人の主人公(中国の歴史人物)についての研究などがある。例を挙げると、佐々木充氏と渡辺ルリ氏は論文「『李陵』と『弟子』――中島敦・中国古典取材作品研究(一)」と論文「『李陵』論」の中で、『李陵』と典拠からの改変を検討した上で作品における作者のモチーフの解明に努めた。
さらに孟慶枢氏は『中島敦と中国文学』で、中島の描写を通して『李陵』の三人の主人公、李陵と司馬遷と蘇武とを比較し、中島敦の信念追求と作品の主題を解明し、中島敦と中国文学の関係を分析した。孫立成氏が「有大患者为吾有身――从道家生命哲学视角解读中岛敦的『李陵』」において、道家思想の生命観を取り入れ、「自然崇拝」の視点から『李陵』を解読した。郭勇氏の論文「自我受難和自我実現的反転:中島敦『李陵』論」も『李陵』に虚無という老荘思想の基礎を明確に指摘している。