紫姫の出身も貴族で、父が兵部卿宮(後に式部卿宮、桐壺帝の先帝の皇子)、母が按察使大納言の娘で、藤壺の宮の姪にあたる。彼女は十歳の時、祖母が亡くなった後、光源氏に引き取られ、自分の家へ連れていってしまったのである。源氏は幼い紫姫を垣間みたとき、彼女が藤壷の宮に似ていることを発見する。美しく、気高くしかも可愛らしい童女を思うままに育てたいと源氏は思う。论文网
(二)個人の教養
宝釵も紫姫も賢淑で落ち着いていて、思いやりがあって、すごく美人で、良妻賢母のタイプで聡明で才能と容貌とを併せ持った女性である。紫姫は美貌、才気、血筋を持っている。第八回の「花宴」の中には源氏が紫姫に見に行った時、「見るたびに、いと美しげにおひなりて、愛敬づき、らうしき心ばへ、いと殊なり」という文がある。この文の意味は、「見るに従って大変かわいい下に成長して。利口な心持は、よその女よりも、まったく格別に勝れている。」なのである。紫姫の美しさが見える。そして、第九回の「葵」の中の「紫の心ばへの、らうへしく愛敬づき、はかなきたはぶ事の中にも、美しますぢ」は紫の上の头の回転が速く、手先も器用だのをわかる。彼女は光源氏の苦難の際にも聡明に対処し、自己奉仕的な努力で光源氏の栄華を支えたが、その姿は理想的であるが故に、自己犠牲的で痛ましく、殊に女三の宮降嫁以後の苦悩は大きい。
薛宝釵の容貌について、紅楼夢には 「唇は紅をささずして赤く、眉は描かずして翠をたたえ、顔は銀の盆のよう、目は杏そのものです」(第29回)の言い方がある。第五回には「こうして突然薛宝釵という少女が出現してみると、年齢は黛玉よりそれほど言っているわけでもないのに、品はあるし容貌の華やかな美しさにかけては黛玉もかなうまいと人の多くは取り沙汰するくらい。それに宝釵と着ては、やることなすこと裁けていて、万事に分際を心得、潮時を承知しています。黛玉がとかくお高くとまって、他人の眼中におかないのとはくらべものになりませんので、黛玉よりはずっと召使達の心をつかんでいます。若い侍女見習の連中などにしても、多くは宝釵と遊びたがるようですので、黛玉二してみれば心中どうも穏やかでないが、宝釵のほうは一向にそれと心づかずに居る様子。」という文がある。宝釵は「群芳に艶冠たる」で、「品格が端正で、容貌がふくよかに美しく」、「することが大らかでさばけており、よく分をわきまえ、潮時をこころえています」の品質がわがる。紅楼夢の第36回では「宝釵はひとりで行くことにし、路のついでに怡紅院の宝玉のところに立ち寄る」と、宝玉はちょうど昼寝中で、襲人は傍らで針仕事をしていた。のちに襲人は用ができて出かけ、宝釵は何気なく宝玉のそばに腰掛けて針仕事をする。宝釵は賢淑であることがわかる。文化教養の深い女子であり、彼女は美しく活発で、詩や賦をよくする。宝釵は親孝行があって、人に対しては優しくて、学問とか、財務を管理するとか全部できる。(《李辰冬古典小说论集》第35页)
(三)社会イメージと地位
紫姫は六条の院に正妻同様の地位を持っている。源氏物語の第十二回の「须磨」には、源氏が须磨に避難に行って、紫姫を一人で残させたときは、、女中たちは紫姫がやさしくて、行き届いた人で、彼女に好きになって、だれも彼女と別れなくなる。女中たちの心には、紫姫は六条の院の女主人だけじゃなく、自分のアイドルである。、第三十回の「若菜」には朱雀院は紫の上のきれい字をみると、自分の娘の三の宮が幼稚で、無知で、賢明で貞淑である紫の上と並べるのはできない、かわいいそうだと感じることがある。三の宮が源氏に降嫁した後も、六条の院の人たちにとっては紫の上はずっと六条の院の女主人である。