2 安部公房と『砂の女』
2.1 作家について
安部公房(1924-1993)は二十世紀の小説家、劇作家である。安部公房は1924年3月7日東京で生まれた。ただし、彼の本籍地は北海道である。安部公房の父(安部浅吉)は満州医科大学(現・中国医科大学)の医師であり、母は日本東京の師範学校に卒業した。翌年、安部公房は一歳の時に両親と中国の満州(現、中国の東北地域)に渡り、そこで住んで小学と中学の時代を過ごした。1940年に満洲の学校で卒業。帰国して日本の高等学校で理科に入学。1943年、東京帝国大学医学部に入学した。1944年日本戦失敗の前に船で満州に帰ったのだ、その後1945年(昭和20年)は実家で開業医となった父の手伝いをして過ごし、8月15日の終戦を迎える。1946年(昭和21年)に敗戦のために家を追われ、奉天市内を転々としながらサイダー製造などで生活費を得る。年末、引揚船にて帰国した。
その後文学の生涯が始まる。1948年(昭和23年)処女小説『終りし道の標べに』を刊行した。 1951年(昭和26年)、『近代文学』2月号において、安部の短編『壁 - S・カルマ氏の犯罪』が発表された。 1964年、『他人の顔』が発表された。 そして、安部公房の随筆『砂漠の思想』が出てきた。
安部公房は日本の国際的作家だと言われる。1994年にノーベル賞を受賞した日本の作家大江健三郎は、作家安部公房について、以下のように言ったことがあった。“安部公房という作家は、日本で最も世界的作家でした。しかも、言語について人類に普通的レヴェルということを考えていたというのは、やはり安部さんに日本語は限定された言語だという思いがあったからではないでしょうか?しかもそれは非常に辛い思いであったのではないか?すなわち安部公房は世界言語で書きたかったのではないでしょうか。それを考えますと、私の受けることになった賞は安部公房にもっともふさわしかったのです。かれがなくなっていければ、大岡昇平と私をつなぐラインのなかで、当然かれが賞を受けでいたことでしょ。”
2.2 『砂の女』について
この小説は昭和三十七年に発行されて昭和三十七に読売文化賞を受賞した、四十三年にはフランスで最優秀外国文化賞を受けた『砂の女』は安部公房の代表的な小説である。
昆虫採集を嗜好する中学校教師仁木順平は休みをとって誰にも話さなくて、新しい昆虫を発見ために一人で旅に出かけて、ある海辺の所にたどり着いだ。そこで大した発見もなく、後に部落の人の紹介で、砂の深い洞穴へ連れられた。砂洞穴の中で30歳ぐらいの女が一人で住んだ。男が洞穴で一泊で帰るつもりだっだのに、明けるときに縄梯子が誰かに取られ、最後に閉じ込められてしまった。女と共同的に生活した。男は強いられて女と一緒に部落の生存ために毎日砂掻きの労働をすることになって、全ての手段を試みて脱出しそこなってしまう。その後、男は水を利用しやすい装置を発明すると、希望に満ち溢れ、元々の生活を捨てて砂の世界に暮らし始めた。それから女が病院へ運ばれて、縄梯子をそこのままにわすられていた。でも男は装置のことが部落の人に告げたくて、逃走のことを無期限するになった。最後に、男は失者として理由のわからないまま、民法第三十条によって「死亡の認定」をうけた、という結末であった。
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