2.1「ごん狐」 「ごん狐」は昭和七年(1932)一月号の『赤い鳥』に掲載された。「ごん狐」は「権狐」から方言を共通語に書き直した作品である。「権狐」は大石源三の「ごんぎつねのふるさと新美南吉の生涯」によると、南吉が昭和六年(1931)十月四日に書いた作品である。こうして南吉は、後期『赤い鳥』が生んだ作家として、その地位を獲得することになった。5この「ごん狐」は昭和三十年(1955)から国語の教科書に採択されるようになって、さらに昭和五十五(1980)年からは全国の小学校四年生の教科書に採用されて、多くの子供たちに親しまれている教材として、現在でも読み継がれている。日本では、ほとんどに人たちに大きな感動を与えた。「ごん狐」は南吉の初期作品の代表作だけでなく、南吉童話の代表作でもある。あらすじは次のとおりである。 ごんは一人ぼっちの子狐で、夜でも昼でも、いつもあたりの村へ出てきて、いたずらばかりしていた。畑へ入って芋を掘り散らしたり、菜種柄に干してあるの火をつけたり、百姓家の裏手に吊るしてある唐辛子をむしり取って、いろんなことをした。ある日、兵十がうなぎを捕まえていることを見た。それから、兵十がいないうちに、びくの中の魚やうなぎを掴み出して、下手の川の中に投げ込んだ。兵十のお母さんがなくなったのを知った後で、自分のせいで、兵十のお母さんはうなぎが欲しくても食べられなかったと思っていて、後悔していた。ミスを補うために、毎日、誰にも知らせずに、兵十に栗を送っていた。しかし、ある日、ごんはまた栗を送るとき、兵十に見つめられて、火縄銃で打たれた。兵十は最後まで誰かいつも栗を送るのがわかった。
2.2「手袋を買いに」 「手袋を買いに」は大石源三の「ごんぎつねのふるさと新美南吉の生涯」によると、南吉が昭和八年(1933)十二月二十六日に書いた作品である。南吉の生前に計画され、死の直後に刊行された童話集「牛をつないだ椿の木」に収載された。「ごん狐」を完成したあと、二年たって、「手袋を買いに」も完成した。この期間内、「仲よしの星たち」や「のら犬」や「みちこさん」などの作品も次々と完成させた。だから、南吉は童話の完成スピードが全然鈍っていなかった。ほとんどの人にとって、「手袋を買いに」は数から言ってそう多くない悲しくない作品である。あらすじは次のとおりである。 寒い冬が北方から、狐の親子の住んでいる森へもやってきた。一夜のうちに、真っ白な雪がどっさりふった。子狐は一人で、外に遊んでいて、寒い感じがした。母さん狐は子供に手袋を買いたかったが、お友達の狐がある家の家鴨を盗もうとしたので、お百姓に見つかって、さんざ追いまくられて、命からがら逃げたことを思い出したから、子狐の片手を人間の手に変えて、子狐に一人で町へ手袋を買いに行かせた。「人間の手を差し入れて、決して、狐の手を出しちゃダメよ。そうしないと、捕まえて檻の中へ入れちゃうだよ。人間ってほんとに怖いものなんだよ。」と母さん狐は言い聞かせた。子狐は町に到着して、帽子屋を見つけて、間違い手を出した。帽子屋さんは相手が狐だとわかっているが、手袋を売った。子狐は人間のお母さんの声を聞き、急に母さん狐に恋しくなって、母さん狐の待っている方へ飛んでいった。子狐は町のことのとおりに母さん狐に言った。そして、「母ちゃん、人間ってちっともこわからないや。」と言った。 日语论文新美南吉的《小狐狸阿权》《小狐狸买手套》《狐》(3):http://www.youerw.com/yingyu/lunwen_42251.html