下人は寝る場所を求めて楼の上部へと行動を開始するが、ここで失念してならないのは、その移動が、内/外という別世界への移行ではなく、境界上の別の層でしかないということである。それは、彼の思考や行動が門の下と上で、レベルが異なったとしても、結局は「門の中」の思考に過ぎないことを意味している。「門の下」で堂々巡りをしていた彼の思考は、上層へ行くことで上昇するとしても、螺旋を描くだけで、思考のベクトルが別の方向を向くわけではないことが、空間的に明白なのである。
物語において洞窟などの閉ざされた空間はしばしば「変身の場」として用いられる。例えば、昔話で有名な「こぶとりじいさん」は洞穴の中で雨宿りをし、鬼(又は天狗)にこぶを取られた。「千と千尋の神隠し」の千尋も、バブルの頃に作られたと思われる大きな建物(トンネルの様な通路のある)を通って神々の集う異空間へ行き、そこで精神的に成長を遂げる。ここでの「門」も下人の変身の舞台として設定されていると考えられる。
これまでの小説家、及び評論家全ては小説界を時間芸術と定めた。小説は一種の叙事文体であり、叙事の本質こそ時間に対する凝固、保存と創造であり、事件の叙述は必ず一定の規律を遵守しなければならないので、「時間の順序は廃除することができず、そうでなければ発生すべき全ての事が混乱するからである。」それに応じて、時間に関する理論はすでに相対的に成熟し、多くの批評家は本文を分析する時も多くは時間の角度から切り込む。疑いなく、この小説も時間からの展開より離脱することはできず、それは主に夕方の一時に集中し、この小説は時間芸術としての特性を否定することはできない。
しかし、時間に対する重視は空間に対する軽視をもたらすことはできない。エンゲルスの認識は以下の通りである。「存在全ての基本形式は空間と時間であり、時間以外の存在と空間以外の存在は、同様に非常に荒唐無稽な事である。」また、空間と時間は全ての物質的存在にとって、一対の相互依存、相互補完、分割不能な統一体であると言う。バフチンはかつて文学中の時間芸術と空間芸術を「芸術時空体」と称した。またヘーゲルは特に空間の重要性を下記のように強調した。「人は現実客観の存在が必要な場合、必ず一つの周囲世界が必要であり、正に神像は一つの寺院がなければ安置できないのと同じである。」空間の小説に対する作用が重要であることがわかる。日本近代作家芥川龍之介の出世作『羅生門』中の空間場面描写は、時間叙事に対する扶助作用だけでなく、さらに相対する独立的特性があり、小説叙事の空間構築を形成した。
以上は「羅生門」の時間と空間の設定についての主な先行研究であるが、平岡敏夫の『「羅生門」の異空間』(大修館書店1995 版)、小泉浩一郎「『羅生門』(初稿)の空間 : その主題把握をめぐり(<特集>虚構の時空)」などの文献に散見する。しかし、以上の先行研究は十分とは言えない。筆者は具象的な空間、象徴的な空間、時間標識物としての空間から、「羅生門」の「門」という空間、トポスの意味を詳しく考察していきたい。これによって、「羅生門」についての研究を促進させられると考えられる。文献综述
2。具象的な空間
2。1 自然空間