戦時体制の強化によりプロレタリア文学の作家たちは弾圧を受け、政治性や思想性を放棄した転向作家が続出した。中野重治の『村の家』や、高見順の『故旧忘れ得べき』(1935年)などが転向文学の代表である。また、危機的な時局を背景に国粋的動向とともに保田與重郎ら日本浪曼派や蓮田善明らの文学活動が見られた 戦争が暗い影を投げかけるこの時期にも、優れた創作活動は行われていた。
1936年、野上弥生子は大長編『迷路』を書き始め、永井荷風は『濹東綺譚』(1937年)を発表し、島崎藤村は『夜明け前』(1935年)を、志賀直哉は『暗夜行路』(1937年)を完成させた。谷崎潤一郎は1935年から『源氏物語』の現代語訳という大事業に取り組み、1942年からは『細雪』に着手し、軍部や警察から中止命令を受けたが、ひそかに書き続けた。
3。2 「山月記」の内容
「山月記」は、中島敦の短編小説であり、1942年、「古譚」という名で『文学界』に発表された。
李微は、天才としてその名が知られていた。若くして位の高い役人に任命されたが、官職を辞して辺境の地に引っ込み人との交わりを絶った。李微は、詩家として死後100年に名を残そうと、ひたすらに詩作にはげんた。しかし、詩家としての名はいっこうにあがらない。詩作に絶望した李微は、生活の困窮もあって、再び官職についた。かつての仲間たちは出世をしている。下の職にしかつけなかった李微は、自尊心が傷つけられて、ますます尊大になっていった。李微は、公用で旅に出たときについに発狂してしまった。わけのわからないことを叫びつつ、どこかへ行ってしまった。