先行研究について、国内の高暁紅(2010)は『弁当文化が日本への影响』の中で、弁当 が日本人の自然観と美意識を表すと述べた。亢妮.張菁.《日本便利の造型美術及び美学意 義』の中で、日本の弁当は1つのウィンドウのように日本人の美意識を表わし、弁当の素 材の研究を通して、その美しさを分析した。国外の林順信(2000)は『駅弁学講座』の中で、 駅弁の歴史とか、その中に反映する日本文化を述べた。佐藤刚史の「弁当力すごい』は日 本弁当の食材からその自然美を紹介した。しかし、大部分の先行研究は単に弁当の種類と か、発展とか考察したが、食材の自然美、組み合わせなどの視野からその中にあふれる美 意識を研究する内容が少ない。
本論文は先行研究を踏みながら、日本弁当のむかし及び現代社会における弁当の普及要 素を簡単に紹介するうえ、日本弁当がどのように日本人の美意識を反映しているかなどの 問題を述べてみる。本文は主に三つの部分に分ける。まず、平安時代、戦国時代、安土桃 山時代、江戸時代、明治時代、現在までの弁当がどのように発展するかを紹介した後、経 済、飲食習慣および歴史要素という三つの原因からいまの弁当がまた人気がある要素をま とめる。そして、日本の食材は季節性を重んじている特徴は弁当の自然美がわかる。食材 の色と料理の組み合わせは日本人の繊細な美が現れる。最後、弁当からどんな日本人の美 意識をまとめる。つまり、日本人はできるだけ小さいところから、美しい生活を作るよう な生活態度と美意識が明らかにする。要するに、日本人はずっと美を追求し、日本の弁当 文化から日本人の美意識を見られると思う。
2.1 日本弁当のむかし
2.日本弁当のむかしと現状
日本弁当の歴史は平安時代に遡ることができる。その時は「頓食(とんじき)」と呼ば れたおにぎりのほか、「干し飯(ほしいい)」または「糒(ほしいい)」と呼ばれ、調理済 みの乾燥米が携帯用の食料として使用されていた。干し飯は小さな入れものに保存するこ とができ、そのまま食べる、あるいはこれを水に入れて煮るなどして食べられていた 。 これは最初の弁当と言える。最初の弁当はきわめて粗末で、弁当と呼ばれても、じつは簡 単なおにぎりと漬物だけである。中期後、庶民の生活水準は大いに上がり、弁当も豪華に なっていく。花見弁当、遊覧弁当、ピクニック弁当などの種類がある。そして、弁当はど のように今のようなお弁当になったのか、お弁当の歴史を振り返って考察しよう。
まずは戦国時代、お弁当の原点は蒸したり、煮たりしたを米を日干ししたものである。
日本最古の歴史書『日本書紀』には、「5 世紀、鷹狩りの際、携帯用のえさ袋を弁当入れ に代用した」と書かれている。また、10 世紀ごろの歌物語『伊勢物語』では、旅の途中 で、干飯を食べるシーンが描かれている 。よくそのまま食べたり、水で柔らかくしたり して食べられていた。戦国時代には、腐りにくくて持ちやすいなどの利点から武士の貴重 な食材とされていた。
そして、安土桃山時代、現在のような弁当箱が現れ、容器に詰めるという状態はその時 代から始まった。この頃から貴族が漆器などの豪華な道具に、料理を盛り込み、花見や茶 会などで持ち寄られるようになった。文献综述