それぞれ雪国の初春、厳冬、晩秋の季節の移り変わりと結びつけて書いている『雪国』における自然美は、極めて強い東洋美を持ちながら、川端の特有の美意識も明確にされている。優雅は川端文学の重要な部分である。川端は鋭敏な季節覚を持ち、自然景物の変化を捕まえ、自分なりの感受性で優雅な自然を描き出され、その上、優美な、純粋な美しい雪国を作ってあげた。

2。2 自然における感情表現

自然環境は人間の精神の観照対象となり、人間と自然との出会いの瞬間、お互いに精神的な融合と浸透があった場合、美意識が生じるわけである。川端はよく人に感動的な美しい自然を小説の背景として、豊かな自然環境の移り変わりの中で、季節の推移に伴い、人物の運命の変化と心の動きを表現して上げた。

『雪国』の冒頭に汽車の窓硝子に外の夕景色と主人公島村の向いに坐った少女の顔が重なった名場面がある。登場人物と背景とは何のかかわりもないのだった。窓硝子は鏡になって、底には夕景色が流れていて、写るものと写す鏡とが、まるで映画の二重写しのように動いている。「人物は透明のはかななさで、風景は夕闇のおぼろな流れで、その二つが融けあいながらこの世ならぬ象徴の世界を描いていた。」 

この窓ガラスは、汽車の中の現実と窓硝子に外の夕景色をそのまま映し出す鏡だけではない。ここの汽車の窓ガラスには、汽車の中の人物やその他が写り、底には外の風景と夕景色の現実の色はもう失われてしまった。「姿が写る部分だけは窓の外が見えないけれども、葉子の輪郭のまわりを絶えず夕景色が動いているので、葉子の顔も透明のように感じられた。」 葉子の眼と野山のともし火が重なった瞬間、「彼女の眼は夕闇の波間に浮かぶ妖しく美しい夜光虫であった」。 この眼と火が二重写しとなってともった瞬間、葉子の眼は美しくて、まるで夜光虫に変貌したことを適確に捉えるのが確かに夕景色の鏡である。

雪国の世界は島村の眼を通じて展開され、鋭い感覚に捉えられた美をきらきらしたもののみを反射してみせる。夕景色の鏡において、島村はその鏡に近く身をおいて、それに写る葉子の眼と火が重なった瞬間を見、そして島村はなんともいえぬ美しさに胸が顫へたほどだった。『雪国』の読者も夕景色の鏡そのまに島村が鮮やかに捉え映し出すことの感覚的な美に触れるのである。

『雪国』に蛾については、「蛾が六七匹も吸ひついてゐた。次の三畳の衣桁にも、小さいくせに胴の太い蛾がとまつていた」 という。島村がこの蛾に注意するようになって、蛾の生死を確認するのため、拳で叩いてみると、「木の葉のやうにぱらりと落ちて、落ちる途巾から輕やかに舞ひ上がった」 のである。上記の部分の「小さいくせに胴の太い蛾」はいったい誰を象徴しているのか。これは駒子であろう。小説に島村がたばこを止めた駒子を見たとき、彼女の体型は「腹の脂肪が厚くなつていた」 のである。来*自-优=尔,论:文+网www.youerw.com

一方、日本人にとって、黄色い蝶々は「凶事の前兆」とされている。「蝶(二羽の黄蝶)はもつれ合ひながら、やがて國境の山より高く、黄色が白くなつてゆくにつれて、遥かだつた。」 ここでの「遥かだった」とは二人の関係の象徴とされている。「遥かな」には「遠く離れているさま」との意味が見られる。この二羽の黄蝶の飛び行く先は島村と駒子の行く末を暗示する表現として、つとに有名である。山を越えて飛んでいる二羽の黄蝶、つまり、二人が別離に向かっていく予感を与える。川端は二羽の蝶をして島村と駒子のこれからの状況を示そうとしたと言える。

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