1。2 先行研究のまとめと新しい視点
日本の漫才を研究する人と中国の漫才を研究する人が多いが、時下中国の漫才の発展と日本の漫才の発展の比較を研究するのはそれほど多くない。
『中日両国のユーモア文化の比較ー中国の漫才と日本の漫才』(『学園』)は中日の漫才の起源と発展について分析し、さらに両国の漫才産業の現状について、漫才の芸術家や種類などから、色々を整理した。両国の漫才の今の発展の比較についての研究が少ないが、多くは中国の漫才と日本の漫才この二つ面から分析する。
『漫才は時下社会環境に発展の方向を分析』(『青春時代』)では、中国の政治環境、経済環境、社会環境と世論環境から中国の漫才の発展についてどんな影響があるか分析した。最後、中国の漫才の発展について二つ注意事項を提出した。
とにかく、私の知る限りでは、今中国の漫才の研究者は漫才の発展に積極的な態度を持っていて、日本の漫才の研究者は主に漫才から日本の様々な態度、生活、現象などにどんな関係があるか研究した。文献综述
本稿では、まず両国の芸術家を具体的に分析し、各自の情況を比較し、待遇の差別が分かるようになる。そして、両国では漫才は本当に人気があるか調査する。最後は漫才をやるの場所と頻度などをアンケート調査し、それぞれは本国ではどんな地位があるか比較する。これらを通じて、漫才は両国の人の娯楽生活にどんな影響があるか及び中日の漫才の発展の方向は自分なりの発想を語りたいと思う。
2 日本の漫才と中国の漫才
2。1 日本の漫才
漫才は、古来の萬歳を元にし愛知県の尾張万歳、三河万歳の影響を受け、日本の関西地方で独自に発達したとされる、主に2人組で披露される演芸・話芸。2人の会話の滑稽な掛け合いの妙などで笑いを提供する。大正末期、映画の弁士によって始められた漫談にちなみ、1933年(昭和8年)頃に吉本興業宣伝部によって漫才と名付けられた。漫才を行う者を「漫才師」と呼ぶ。漫才の発祥と言われる萬歳は、平安時代から始まった芸能で、新年を言祝ぐ歌舞である。漫才は主に2名で演じられる話芸で、3名以上のグループで演じられる場合もある。背景音楽が使用される場合もあり、演者自身が楽器を演奏する場合もある。漫才は寄席で行われる演芸として発達したが、マスメディアとの親和性にも優れており、ラジオ番組やテレビ番組でも多く披露されていった。来*自-优=尔,论:文+网www.youerw.com
2。2 中国の漫才
中国の伝統的な話芸の一つ。話術や芸で客を笑わせる芸能である。中国の「説唱」「曲芸」(語り物と歌いものの伝統芸能の総称)のジャンルの一つである。漫才の起源は不明な点が多いが、一説によると語源は「像声」(物や人の声をまねる声帯模写の芸)で、明清時代から盛り場や茶館などで、客を笑わせる話芸として演じられていた。文字文献に名前が記録されている最古の漫才芸人は、19世紀半ばごろに活躍した「張三禄」という人物だが、生没年も含めて彼の詳細な経歴は不明である。中国の漫才の芸人は、この張三禄を初代の「祖師」として、代々、師承(師匠に正式に入門し、弟子として認定される師弟関係を、代々受け継いでゆくこと)の関係を重んじてきた(この点は日本の落語家の師承と似ている)。中国のプロの漫才芸人の多くは、張三禄から数えて「第x代相声演員」というくくりで分類される。2016年現在、活躍中の相声芸人の最も若い世代は「第十代相声演員」である。