3。2太宰治と芥川龍之介
太宰治が憧れているのは人気の作家芥川龍之介である。彼が芥川龍之介に傾倒していたことはよく知られている。昭和二年芥川龍之介が服毒自殺をした。当時18歳の太宰は大きなショックを受けた。25歳の自殺未遂事件を報じた新聞記事には、「同君は故芥川龍之介氏を崇拝して居り或いは死を選ぶのではないかと友人は心痛している」という文章が見える。芥川と同じ東京帝国大学に進学すると、ここから太宰の空回りが始まる。昭和10(1935)年、日本最初の文学賞・芥川賞が創設された。「なんとしてもこの賞が欲しい。」と太宰治は熱望した。実家から勘当を言い渡され、もしこの賞を獲得したら、青森県の実家に自分を認めてもらうことに絶好のチャンスである。
1回目は候補者の一人として落選した。選考委員の川端康成は「作家目下の生活にいやな曇りあり」と評論した。太宰はそれを読んでから非常に腹が立った。しかし2回目も落選した。それで太宰治は川端康成に長い手紙を書いた。「私に希望を与えてください」「きっと、よい仕事できます」など、彼は受賞を求めていた。残念ながら太宰が願望に外れた。それがゆえに、太宰がつらくて常に鎮痛剤を常用し、薬物中毒した。太宰治は「芥川になりたい」という道がうまくいかないと思っている。