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    4.1中国と日本の児童観の生成および発展    11
    4.2中日児童観の違い    13
    5.おわりに    14
    参考文献    16
    1.はじめに
    われわれは今、先を争って発展する社会的環境に置かれている。発展は国家にとってきわめて重要である。その発展のカギを握っているのはいうまでもなく子どもである。子どもは国の未来を担っている。しかし、今の中国では、依然として伝統観念を重視し、成人本位で物事を考えている。大人は社会を支配し、子どもの意志はまったく無視されている。「人々は子どもをよく理解していない。子どもが小さな大人だと考えられてしまう。……子どもたちは儒家の経典の暗記を強要され、子どもの言い分を聞いてくれないし、子どもの考えをも軽々と否定してしまうのである。」 。こうした根強く揺るぎない伝統思想(父父、子子)はいまでも私たちの児童観と教育観を支配する。子どもの考えを大切にし、その心の声をきちんと受け止めるためには、もっと正しい児童観を持つことが必要である。
    私は新美南吉の「ごんきつね」を読むと、思わず中国でよく知られる「狼が来た」が思い出した。二つの話には多くの共通点があると同時に、子どもに対する考え方がそれぞれ違っている。両者の比較を通して、中日間の児童観の違いを明らかにしたうえで、日本特有の考え方を分析して、中国の児童教育の発展に寄与したいと思う。
    2.「狼が来た」と「ごんきつね」の紹介
    2.1「ごんきつね」について
    2.1.1作家と作品の背景
    新美南吉は1913年7月30日、生まれた。故郷は愛知県半田市だ。本名は新美正八(旧姓:渡辺)。新美は彼の母親の名字である。父親の渡辺多蔵は母親が逝去した後、再婚した。新しい母と弟ができたのも束の間、「いはば要らん子」となった南吉は、生母の実家である岩滑新田の新美家へ養子に出されるのである。理屈から言って、南吉は祖母の孫だ。しかし、新美の家の財産を相続する人がないから、南吉は祖母の養子に出された。そして、南吉は新美を姓としている。八歳の七月に養子にいった「南吉は祖母と二人だけの生活にノイーロゼぎみとなり、祖母も、南吉を育てることに自信をなくした 。」その年の二月早くも父多蔵のもとへ返されることになったという。返しても、新美の姓も留めた。
    巽聖歌の影響でこそ、新美南吉が文学の創作を始めた。1928年ごろから童謡や詩の投稿を始めた。また、文芸誌「赤い鳥」や小川未明の「日本童話集」にであう。雑誌「赤い鳥」出身の作家の一人であり、彼の代表作「ごんきつね」は1932年にこの雑誌に掲載されたのが初出。同年4月、東京外国語学院(現東京外国語大学)英語部文科文学に入学した。1936年、東京外国語学校を卒業した。神田の貿易商会に勤めたが、二度目の喀血をして11月帰郷した。1943年、逝去した。享年29才。友人の巽聖歌は彼の生前から発表の機会を多く提供していた、南吉の死後もその作品を広める努力をした。
    地方で教師を務め若くして亡くなった童話作家という共通点から宮沢賢治との比較で語られることも多い。賢治が独特の宗教観・宇宙観で人を客体化して時にシニカルな筆致で語るのに対し、南吉はあくまでも人から視た主観的・情緒的な視線で自分の周囲の生活の中から拾い上げた素朴なエピソードを脚色したり膨らませたわい深い作風で日本児童文学研究者の石井桃子は、「北の賢治、南の南吉」 という好対照をなしている。
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