枯山水庭園はそれぞれの時代に違った表現形式を持っています。平安時代の枯山水庭園は主に自然風景の要素によって作られました。室町時代以降には、禅宗は中国から日本へ伝えられました。そして、禅宗の思想もたくさんの日本人に受け入れられました。枯山水庭園は禅宗の思想と結びついて、禅寺などで多く作られていました。造庭者は禅宗の「空寂」や「幽玄」の芸術精神で庭園を作りました。その結果、枯山水庭園は日本庭園の主要なシンポルとなりました。
木村三郎の「枯山水論の行方」において、枯山水という用語ほどわが国の庭苑手法を代表する歴史的用語は見当らない。今日まで造園史家が論及の対象としたのも当然であるが、これか単なる造園界のみにとどまらずわが国思想界における日本人的心情のあらわれを示す(わひ目さび)さらに(幽玄)(余情)のような表現語としてもしばしば活用されていることに驚きを覚える。そこで改めて造園界における専用語としての枯山水の歴史的な推移をいささか究明して見たい。
2.2自然観から見られる美意識に関する研究
人類の思想、文化それとも美意識はそれぞれの自然環境と風俗に強く影響された。したがって、民族それとも地域に特別な文化が発展してきた。日本人は自然が尊敬する。そういうわけで、日本人は自然がすべてたいへん美しいものであるという考えを持っている。
ある程度で、日本人の最も早い生活と美意識の形成は彼たちが生活している自然環境に決まられる。自然環境はいつも地理位置や気候などの自然条件を含める。そういう要素はほとんど変わらない、つまり固定しているといえる。たとえ変化するにしても、億万年もかかるかもしれない。そのことから、日本人の伝統的美意識を考察するとき、その自然、特に自然と人情とをまったく結びつけることを考えずにはいられない。
日本人は自然環境と人間の関係との関わりの中で歴史を考え、その自然と人情のなかで美の存在を発見するのである。 日语论文从日本庭院艺术看日本人的审美意识(2):http://www.youerw.com/yingyu/lunwen_32683.html