色彩は人々にとって日常生活に欠かせないものである。文学作品においても重要な役割を担っている。作者は色彩を使って、単調な言葉や文章を生き生きさせて、言いたいことをより易く読者に伝える。ある時、多くの言葉を費やしても言い解かないことが、色彩を用いて簡単に伝えることができる。おまけに、鮮明的なキャラクタを作り上げることにとっても有利なものである。だから、いい文章を書きたければ、色彩の運用は欠けられないとも言える。この重要性は日本にでも、中国にでも同じである。でも、文化、社会が異なるとそれぞれの言語による微妙な差があるから、その微妙な差を表現し得る言葉は同質社会に限って伝達の機能を発揮できるが、異質な風土、異質な文化の中に住む人には最も理解しにくいものである。だから、色彩を通じて同じ意味であっても中日両国にこの表現法が違うのである。本論文は三つの『雪国』の訳本を比較し、日中文化における「赤」と「白」をめぐって研究するものである。
3。川端康成と色彩
ノーベル文学賞を受賞した川端康成さん(1899~1972)がスウェーデンのストックホルムでの授賞式の講演で、白には最も多くの色が含まれていると言ったことをシリーズ3号で書いた。「美しい日本の私」というタイトルのこの講演は、日本人の伝統的な美意識を世界に表明したもので、佐良志奈神社の社標和歌「月のみか露霜しぐれ雪までにさらしさらせるさらしなの里」の美意識とつながっているので紹介した。
「色のない白は最も清らかであるとともに、最も多くの色を持っています」というのが川端さんの言葉だが、この言葉は花瓶に挿した一輪の花の美しさを説明する文章の中にあるもので、その花として選ばれたのは白ツバキだ。水をふくんだ白ツバキの花弁の美しさも強調している。「美しい日本の私」は自然の美しさをうたう和歌を中心に紹介しており、白色のことについて全面的に語っているわけではない。しかし、月を詠んだ和歌を複数取り上げており、結果的に白のイメージを濃く感じる。论文网
なぜ、川端さんはこの講演で白色が最多色であることを指摘する一文を入れたのか気になっていて、代表作の「雪国」にヒントがないかと思い、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」いうあの有名な書き出しに白のイメージを強く感じたからだ。読んでみて驚いた。白が作るイメージの中でも、特に「清浄」「浄化」のイメージを効果的に使っているのだ。
「雪国」は妻子ある東京のインテリの男と豪雪地帯である新潟県の温泉街の若い芸者との愛と情念が描かれています。現代風にいえば、男の浮気、不倫、都会の男にほれた田舎の女の純愛と憎悪、男女のかけひきもある。しかし、髄所に雪の白色でそれらを浄化する表現が登場するのだ。例えば男が自分が惚れられていると気分をよくしながらも、芸者が奏でる三味線の音を聴きながら自分を冷めた目で見る場面の川端さんの描写だ。
「こんな日は音がちがう」と、雪の晴天を見上げて、駒子が言っただけのことはあった。空気がちがうのである。劇場の壁もなければ、聴衆もなければ、都会の塵埃もなければ、音はただ純粋な冬の朝の澄み通って、遠くの雪の山々まで真直ぐに響いて行った。
また男と芸者の関係が、一つの言葉でだいなしになろうとした場面の後に続く川端さんの次の描写だ。