以下、日本の狐の昔話・民話や伝承を紹介し、それらの形成背景と影響について分析する。
1.狐女房
狐女房は狐にまつねる最も典型的な物語である。この昔話は狐自体の生態習性に関わっている。狐はその幼獣が成獣になる頃に、それを追い払う。これはいわゆる「子別れの儀式」である。それについて、吉野裕子は「日本の狐伝承には『葛の葉』伝説をはじめ、つねに哀愁を帯びた子別れがつきまとうが、おそらくその原型は、狐の子が生後四、五ヶ月して、成獣となると、親は身をもって子を巣から追放するこの『子別れの儀式』にあろう」と指摘している。
この、初秋という季節によく行われる「子別れ」は、人間の目から見ると何らかの風情があるかもしれない。よって、こうこう狐の子別れ儀式は人間社会の中で再構成されて、様々な物語が作られた。
以下、有名な狐女房に関する昔話を幾つか挙げて紹介する。
(1) 信太妻、信田妻
信太妻が狐物語で有名になったには、あの陰陽師・安倍晴明に深く関わっているからである。伝説によれば、安倍晴明はその狐女房の子であるという。
和泉国泉北郡信太村、信太稲荷の縁起
信太の森の狐は、安部保名に生命を助けられ、葛の葉という娘に化けて、保名の妻となる。二人の間には童子丸という男の子まで生まれたが、ある日、正体があらわれ、そのため、恋しくばたづねきてみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉という歌を残して去る。童子丸は成長し、後に高名な安部晴明という陰陽師になった。
これは中世の物語である。安倍晴明に陰陽道が強かったのは、その母親である妖狐が残してくれた二つの宝物のおかげであるという。信太妻物語は様々なバージョンに発展し、日本の隅々にまで伝わり、歌舞伎の台本にもなった。また、様々な狐女房物語もそこから派生してできたのである。
「信太妻」の狐女房は名が葛の葉で、「葛の葉伝説」とも呼ばれている。現在、大阪府和泉市葛の葉町に「葛の葉稲荷神社」がある。昔は「信太森神社」だったという。ここは葛葉が住んでいた場所だと言われている。神社のご祭神にも葛の葉の姫が含まれている。そして、上記の昔話と相俟って、「信太森神社」は「葛の葉稲荷神社」として広く知られている。
(2)『日本霊異記』における狐女房(美濃之狐)
狐を妻(め)として子を生ましめし縁论文网
昔、欽明朝のころ、美濃国大野郡の住人が、野中で美しい女に遇った。女はこのとこにさかんに秋波を送り、男もまた妻を求めていた折柄とて、意気投合して夫婦となり、一人の男の子までもうけた。ところがこの家の飼犬がいつもこの女に吠えかかるので、何とか早くこの犬を打ち殺してほしいと女はたのむが、男のほうはなかなか承知しない。
ある日のこと、この主婦が臼屋に入ったところ、犬は主婦を喰い殺す勢いで追って来るので、おそれた女はついにその本性を現わして狐となって屋根に上ってしまった。男はおどろいたが、『お前との間には子まで生したのだから(畜生といっても)忘れられるものではない。いつでも来て寝るがよい』といったので、それから『きつね』という名が出来た。女は紅の裳裾をひいて去って行ったが、夫はその姿が忘れられず歌を詠み、その子を『きつね』と名づけ、また姓を狐の直とした。これから美濃国の狐の直の先祖である。