摘要20世纪以来随着中日关系的不断推进,对鉴真的研究也走向高峰,内容也进一步的深化和学术化。目前在国内能够见到的有关鉴真的著作并不算少,但却基本具有通俗化的特点,感情色彩深厚,纪念意义较强。而在叙述鉴真生平,东渡经过及鉴真对日本佛教文化的影响上,论点与看法几乎大同小异,对于一些学术问题也没有过多讨论。本文所论述的即是鉴真东渡后对日本佛教的影响,从中可以看出七、八世纪时中日文化交流的盛况。84350

毕业论文关键词:鉴真   佛教    中日  文化交流

要旨20世紀以来、中日関係の絶えず推進とともに、鑑真についての研究は盛んになっていく。また、その研究も一層深化・学術化になる。現在、国内では鑑真に関わる著作は少ないとは言えないが、基本的に通俗化で、感情の色が濃く、記念の意味が比較的に強いという特徴がある。鑑真の生涯、東へ渡る過程及び日本の仏教文化への影響を述べることには、ほとんど論点と見方は似ていて、学術問題もあまり論じたことがないのである。本論文は当時鑑真が東へ渡った後日本仏教への影響を述べ、その中から七、八世紀における中日文化交流の繁栄がわかる。

キーワード:鑑真   仏教  中日  文化交流

目  次

1 はじめに 1

2 鑑真の生涯 1

2。1唐王朝に、鑑真の社会地位 1

2。2日本天皇が鑑真への重視 2

3 鑑真は日本仏教文化思想への影響 2

3。1三師七証制度 2

3。2日本仏教の律宗派 3

4 鑑真は日本仏教組織関係への影響 4

4。1日本律宗理論基礎の定め 4

4。2仏教思想の普及と粛清 5

5 おわりに 6

参考文献 7

謝辞 8

鑑真渡日は日本の仏教文化への影響について

1 はじめに

  鑑真は奈良時代に渡来した有名な唐の僧侶であり、日本の律宗の開祖でもある。中国の江蘇省揚州の出身で、5回の渡航失敗と失明にもかかわらず、天平勝宝5年(753年)に来日した。

  東大寺に初めて戒壇を設け、聖武上皇以下に授戒を行う。また、唐招提寺を創建し、それを戒律の根本道場とした。その後、鑑真は大都僧となり、大和上の称号も贈られた。これらの来日の事情は唐大和上东征記に詳しく説明される。论文网

2鑑真の生涯

2。1唐王朝に、鑑真の社会地位

  鑑真 江蘇省揚州の出身、668年に揚州に生まれ。14才の時に、揚州大雲寺で出家し、律学大家道岸先生に師事し、道岸和尚が西暦717年に亡くなってから、鑑真は先生の後任として、引き続いて長江と淮河流域の周辺地域で律学を広めていた。

  唐の時代、鑑真が生活していた陽州は東南地域の仏教センターであり、寺社が立ち並び、名僧が倍出していた場所である。鑑真が出家してた大雲寺と後来講義をしていた大明寺はその中の2棟の大寺である。日本への渡海前の十数年間、鑑真が大明寺で前後して律宗を講じて、「四分律」、「律抄」「軽重儀」130回以上を講じて、4万人以上の人々に授戒を行ったとされている。寺、塔を80座も作り、無数の仏像を製作していた。3000枚袈裟を縫い、11000本以上の仏経を書く。唐の時代、弟子が国内の各地に散在していた。50歳を超える鉴真は道俗に承認され、名声が江蘇・浙江・安徽に知られ、宗教リーダーである。

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