「かける」「かかる」は、本動詞として多くの意を持ち、使用頻度の高い動詞であり、その意・用法も多岐にわたっている。それらが動詞連用形に接続したときの複合動詞「~かける」「~かかる」も前項動詞との組み合わせにより、様々な意で使用され、興深い。そのような「~かける」「~かかる」がなぜ学習者にとって習得困難な項目になってしまっているのであろうか。複合動詞「~かける」とその自動詞「~かかる」の習得状況や誤用現象などの情報を得るには、現場において調査を行う必要がある。
そこで、本稿では、先行研究を踏まえ、中国人日本語学習者の習得の過程に浮かび上がってきた誤用現象に注目し、意の多様性に富み、生産性が高い複合動詞「~かける」と「~かかる」を取り上げたい。更に中国語を母語とする日本語学習者の習得状況を究明し、より効率的な指導法を考えることにする。
1.2 研究方法
本稿では、次の順に従って、論述を進めることにする。
まず、先行研究に基づいて、複合動詞「~かける」と「~かかる」の使用実態においての問題点を解明する。
次に、杭州師範大学における日本語学科の四年生を対象とし、複合動詞「~かける」と「~かかる」の習得状況を解明するために調査を実施する。
そして、調査結果を分析・整理し、誤用の実態を解明した上で、誤用の根本的な原因を考え、注意点を説明する。また、中国で使用されている教科書の問題点を解明し、教育の立場から試案を提案する。
最後に、今後の課題を検討する。
1.3 先行研究と本研究の立場
田中(2004)が日本語教育の視点から、「日本語を外国語として、または第二言語として習得`优尔^文:论;文'网www.youerw.comしようとする人たちのための教科書には、単純動詞の意使用法はあるが、複合動詞は、中級のものにもあまり記載されていない。従って、学習者は習得の機会がないわけである。これは、日本語を第二言語として使用しなければならない留学生たち、特に大学で勉強する留学生たちにとって一つの問題である。」と指摘している。
複合動詞は文法的な性質により、語彙的複合動詞と統語的複合動詞に分けられることが影山(1993)によって定義されている。複合動詞のメンバーである「~かける」「~かかる」にも語彙的なものと、統語的なものがある。つまり、語彙的な「~かける」「~かかる」と統語的な「~かける」「~かかる」は同一語形を取るが、文法的性質に違いがある。それに、同じ語彙的な性質を持っている「~かける」と「~かかる」、あるいは同じ統語的な性質を持っている「~かける」と「~かかる」はそれぞれ意・用法上何らかの違いがあるはずである。
冨田(2007)は、統語的な「~かける」と「~かかる」は動作がゴールに達していないという未遂を示す点で共通しているが、そのゴールを「~かける」は動作の完了の時点に設定し、「~かかる」は開始の時点に設定するという根本的な性格の違いがあると述べている。従って同じアスペクトを示す場合の「~かける」と「~かかる」の使い分けに示唆があると思われる。
前述のように、複合動詞「~かける」「~かかる」については、日本語学、日本語教育の多くの分野で研究されてきた。その中で、意・用法について比較的に詳細な記述としては、姫野(1999)の研究が挙げられる。姫野(1999)ではアスペクトを示す場合を「始動を表す~かける/かかる」、語彙的複合動詞である場合を「指向を表す~かける/かかる」と呼んでいる。さらに「指向」を表す「~かける/かかる」を「落下接触」「依拠接触」「志向接触」「心理的志向」「志向移動」「把捉」「通過遭遇」の7タイプに分けている。そして、自他ともに使われるといっても、結合する動詞群を異にするものもある。「~かかる」と「~かける」は、共通の動詞群に結合し、(「~かかる」のつくものはすべて「~かける」もつく。しかし、その逆は成立しない)サ変動詞とも結びつくのであるから、このような後項動詞類の中でも特徴のある存在だといえよう。姫野の分類を踏まえてみると、詳細すぎてこのレベルの学習者の習得状況の把握に役立たない可能性があると思われる。 日语论文复合动词「~かける」和「~かかる」习得的考察(2):http://www.youerw.com/yingyu/lunwen_45026.html