研究の面から見て、中日の食文化を取り上げて検討した研究成果も何本あるが、もっぱら正月料理と神饌という視点からの研究はまだないようである。しかし、いろいろと調べてみて、正月料理の中日比較はやはり大きな価値もあるし、比較する余裕も十分あることが分った。そして、指導教師の孟妍先生からのアドバイスを参考にして、この「食文化の中日比較研究――正月料理を中心に」というテーマを決めたわけである。
2 年中行事における正月の概況
2.1 中国の正月の紹介
旧暦の 1 月 1 日は春節で、中国最盛大な伝統祝祭日である。春節の祝賀行事は長くて盛大である。春節は一般的に旧暦の 12 月 23 日の小年節から 1 月 15 日の元宵節までである。実は、古代に「春節」と呼ばなかったが、「元旦」と呼んだ。いわゆる「元旦」の「元」は初めの意で、「旦」は早朝の意である。
殷時代から、旧暦の一日は「朔」、十五日は「望」である。毎年の初めは正月の朔日から、「元旦」と呼ばれた。春節風俗は殷時代の年末と年初の祭りから生まれた。その祭りは「臘祭」といった。一年の農業終わったら、人たちは神様と自然の感謝を表すために祭りを行う。そのとき、神様と祖先に穀物を供えて、来年の諸方面が順調に進むように祈る。
辛亥革命前、新年のシンボルとしての「春節」は「元旦、新正、元日、正日、三元日」などを呼んだ。わが国は漢武帝が施行した『初暦』から、新年は旧暦1月1日を定めた。そのあと、歴代の天子はそのまま相続してきた。1911 年辛亥革命後、中国最後の封建王朝が倒されて、中華民国を成立した。中華民国政府は西暦紀元を改めた。
西暦の 1 月 1 日は「新年」で、旧暦の元旦は「春節」と呼ばれた。しかし、歴史のためにそれを正式改称しなかった。1949 年 9 月 27 日、中国人民政治協商会議第一届
全体会議で西暦の 1 月 1 日は「元旦」、旧暦の 1 月 1 日は「春節」を定めた。
2.2 日本の正月の紹介
正月行事が行われた由来は年が変わっても毎年同じような行事が行われるように、人間は経験上、新しい年が繰り返しやってくることがわかっている。特に日本人は元々農耕民族だから、今年も豊作であってほしいと願う気持ちで新年を迎える。新年を迎えることは神事なので、昔の日本人は禊をして、神にお祈りを捧げた。そういうところから始まったのが正月行事の起源といえる。
今日の中日祝日の内容は全く同じなのは非常に少ない。しかし、日本の祝日からまた中国伝統祝日の内容と真髄が伺われる。日本人は、昔から普段どおりの日常生活を送る日を「ケの日」と呼んで来た。これに対して、神社のお祭り、正月、冠婚葬祭などを行う日を「ハレの日」として、単調になりがちな生活に、変化とケジメをつけてきた。「ハレ」の日は、単調な日常から抜け出して、特別な日を過ごすのである。それは、ハレの日常の特別な着物を着たり、神聖な食べ物である赤飯や餅をついて食べたり、さけをのんだりしてお祝いをし、特別な日であることを表わした。
一方「ケの日」は、普段どおり生活を送る日であり、「ケ」の生活が順調に行かなくなることを「気枯れ」、つまり「ケガレ」になるとし、特に「病気」や「死」などは、ケガレと考えてきた。日本では、神話の時代からケガレを忌み嫌い、神に近付くのにふさわしい身体のケガレを取り除いて清め、お抜きをしたりした。即ち、このケガレを取り除いた状態が、「ハレ」で会ったのである。そして、ハレの日に着る着物が「ハレ着」であり、「晴れ姿」や「晴れ舞台」などの言葉が残っている。