1.2 先行研究のまとめ

 本稿は私が韓国での交換留学生活の経験を踏まえ、その間に自分がK-POP文化を見て感慨し、書いたものである。その時学校には世界各地からたくさんの留学生がいる。そして、私のクラスの中でも、二人の日本の女子学生がいる。私が彼女たちにどうして韓国にきたと聞くと、彼女たちはK-POP文化が好きだから、韓国に来って生活してみたい、韓国での人々はどんな生活をしているのが知りたがり、それにK-POP文化が身近に触れ合えるように、彼女達がそう言った。日本で、K-POP文化がとても流行っており、東方神起、SHINEE,BIGABANGなどのK-POPグループは日本の若い人の中で人気は次第に高くなってき、中国でもK-POPは人気があり、私は彼女たちに教えてくれた。さらに、たくさんの友達は私が韓国を留学していることを知り、写真集とCDなどの製品を買ってあげると頼んだ。そのことはK-POPが同時に中国と日本でとても流行っているのを意識させた。そのほか、日本の友たちから、日本でよくK-POPスターのコンサートとK-POPイベントがあり、正規のCDを買いやすいことが分かったが、中国でそういう事が難しそうだ。その結果、K-POPが同時に中国と日本で流行っているのを意識させるが、具体的にどのような方面が相違しているのを気になり、分析したいと思う。源:自'优尔.·论,文;网·www.youerw.com/

 また、学者の柳承燁さんは、「『K-POP文化』は韓国のドラマ、韓国の音楽などのエンターテインメント業界から生まれたけど、その中に限らず、徐々に、韓国文化の製品を代表にして、韓国の化粧品、服装、電子製品、観光関連など多数の産業を含めて、互いに影響し合って、そいうモデルに成長した。更に、段々『韓国製』を付いたもの、すべて『K-POP』の功績とされた」と主張している。確かに、K-POP文化は中日の両国に各方面に良い影響を与えたといえる。そして、「K-POP文化」はアジアで持てることができる理由は、まず、外来文化として、視聴者たちに好まれ、最も深い原因としてメンタルから認めることになってきた。その次に、経済の発展は文化を広めるブースターと触媒であり、経済交流を強化し続け、文化の交流をさらに強化されるはずである。人々は韓国のドラマ、歌、映画などが好きなだけではなく、次第にキムチ、コチュジャンなどの韓国料理も好きになり、同時にK-POPファッションの関心度も増加している。しかし、K-POPはアジアでの影響は積極的なではなく、消極的な要素も含めると思う。したがって、K-POP文化は一体中日にどのような影響を与えたか、及びどのような差異があるかのを研究したいと思う。

本稿では、三つの方面を具体的に分析し、K-POP文化は中日でどのように発展したのか、K-POP文化が中日市場に入ったから、文化、経済、生活への影響を比較したいと思う。今後の戦略についての展望をまとめ、またわが国と日本の産業がそこからどのような経験が学べるのか、自分なりの発想を語りたいと思う。

2 K-POP文化の発展文献综述

2.1 K-POPが日本での発展

日本では、バブル崩壊後の1990年代には、まだ日本人の視野に入れる活動をする韓国人アーティストも少なく、ほとんどが単発的であった。2000年代になるとエイベックスとSMエンターテインメントの業務提携による韓国人アーティストの出現と、2004年の韓国テレビドラマ『冬のソナタ』をきっかけとした韓流ドラマや、それらに伴う主題歌と主演俳優が後押ししていった。そんな時『冬のソナタ』がNHKから放送された。淡い初恋がテーマの美しい純愛ドラマで、これまでの韓ドラとは一線を画したものだった。『冬のソナタ』はアメリカ一辺倒だったNHKの海外ドラマ枠に新風を吹き込んだ。視聴者層も、これまでの男性や、20代~30代という若い世代の女性から、40代~80代までの比較的高い年代の女性に取って代わった。その後、『天国の階段』、『夏の香り』、『春のワルツ』、『悲しき恋歌』といった切ない純愛ドラマが次々とテレビで放送され人気を博した。2000年代後半ごろからは、作品とその俳優とその俳優の別の作品とその撮影地、あるいは主題歌とその歌手とその歌手の別の作品とそのコンサートいう具合に、韓流への探求はどんどん派生し、日本をビジネスチャンスとする韓国アーティストが増えていった。2001年、BOAという少女が彗星のように現れた。愛らしい容姿に、抜群のダンスセンスと圧倒的な歌唱力。おまけに韓国語、日本語、英語の3つの言葉を自在に操る。彼女は、これまで韓国に見向きもしなかった若者のハートをがっちり掴んだ。この頃韓国は、映画などのソフトを海外に売っていくという国策を執っていた。BOAは海外進出を狙って日本語と英語を特訓してデビューした、いわゆる芸能界の海外派遣要員第1号だったかもしれない。BOAが拓き、東方神起が整地した道を、John-Hoon、SS501、T-maxらが歩き、遂には、BIGBANGが2009年のレコード大賞で最優秀新人賞を獲った。沈静化したと見られたブームは、音楽シーンでは、治まるどころかK-POPとしてもっと大きなうねりとなっていた。そして2010年、これまで不毛と言われてきたK-POPガールズグループが、KARA、少女時代の相次ぐ日本デビューで一気に火を噴き、社会ブームを巻き起こすほどになった。

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