7

3.3就職について 8

おわりに 9

参考文献 11

はじめに

1945年の時、中国の旧満州(今の中国東北部)には、開拓団など多くの日本人が居住していましたが、その年の8月9日から、ソ連軍が対日参戦を始めて、中国の大陸に兵乱起こって、戦争に巻き込まれて、戦乱を逃げる途中飢餓疾病等の関係により多くの人々が亡くなった。このような避難期間、肉親と離れ離れになって孤児となって中国の養父母に養ってられて、中国に残さざるをえなくなった方々を「中国残留邦人」という。それから、日軍とソ連軍が開戦した時、樺太(千島を含む)には約38万人の庶民と約1万人の季節労働者が居留していた。開戦により、その人たち中の老人、女子と子供等を北海道に緊急疎開させることとしましたが、1945(昭和20)年8月23日、こうした緊急疎開がソ連軍に停止された。その後、集団引揚げが1959(昭和34)年までに行われましたが、さまざまな事情で樺太(ソ連本土に移送された方を含む。)に残留された方々を「樺太残留邦人」という 。中国及び樺太にやむなく残留された人たちは、戦火が飛び散るその日々、肉親と離別したり、異郷に身を置いたり、数十年に及ぶ辛苦の人生を歩んできた。政府側の統計により知ることでは、1945年8月9日にソ連軍は旧満州で日軍を撃退した時、中国大陸には155万人の日本人が生活していたが、1946年までに旧満州から帰国した人が101万人、別に大連やその他の地域から帰国した人が25万5千人でいるというだ。残る約28万の人々は、ここから長く辛い道のりの中であらゆる苦労を舐め尽くしてきたのである 。これらの方々は、1972年日中関係正常化まで、帰国の日を迎えてきた。しかし、帰国の途が万事順調ではない、複雑な政策限定もあるし、そして様々な手続きをしなければならないし。ようやく日本に帰国されて定着したときは、言葉の問題や生活習慣方面の差別、更に就職、養老の問題などいろいろな厳しい情勢が目の前に現れていった。论文网

本稿は主に三つの部分からなっているものである。まずは中国帰国者の分類と定義。つづいては中国帰国者定着促進センターを始め、公的支援機関の発展と現状を分析すること。最後の部分は二つの方面(帰国者日本語習得と就職)から、身元引受人の作用と比べて、公的支援機関が永住帰国後の「中国帰国者」にとっては、どのような指導および役割を行ったのか、どのような存在であったのか分析を試みたい。この部分は全文の重点と言うだけでなく、先行研究と違っているのもある。公的支援機関の視点から見る帰国後の残留孤児らの生活世界。帰国者定着生活の適応性が改善してきたものの、公的支援機関は日に日に没落していく。道理に基づけば、これは時勢に順応する現状だといってもいいだ。しかし、公的支援機関の没落は一体帰国者たちが日本の生活が次第に適応してきたとの関係は唯一の要因があるかどうかを明らかにし、そして、残留孤児、残留婦人とその家族たちの日常生活は、本当に他人の援助を必要がないを前提に、日本の暮らしに良く馴染むかどうかは確認を待たなければならない。

1.永住帰国する中国帰国者について

1.1永住帰国

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