要旨日本の明治維新と中国の戊戌の変法は、日中両国の近代史の重大な事件である。二つの事件は、両国が欧米列強に侵略され、改革にせまられたときに、国を救うために行ったものである。しかし、明治維新と戊戌の変法の結果と国の歴史にもたらした影響には大きな違いがある。本論文では、両国の歴史事件の背景、過程、結果を具体的に比較し、その二つの維新運動の結果の異なった原因を探り、分析してみたいと考える。47347
キーワード:変革、明治維新、戊戌の変法、原因
摘要日本的明治维新和中国的戊戌变法都是中日两过近代史上重大的事件。这两次事件都是在两国受到西方势力的侵略,国家面临危机急需进行改革的时候进行的一次救国的运动。但是,
明治维新和戊戌变法的结果和对两国历史的影响却大相径庭。本文将对两国的这两次历史事件的背景、过程和结果进行具体比较,试着探索和分析造成这两次维新运动结果差异的原因。
毕业论文关键词:变革、明治维新、戊戌变法、原因
目 次
1. はじめに4
1.1 研究目的と意義4
1.2先行研究4
2. 西洋勢力の台頭と中日の危機•5
2.1 19世紀後半の西洋世界の台頭5
2.2日本の江戸幕府と倒幕思想5
2.2.1鎖国時代の終わり5
2.2.2統治の危機5
2.2.3倒幕思想の形成5
2.3中国の封建的国家の危機と洋務運動5
2.3.1世界の資本主義の流れと中国社会への衝撃6
2.3.2洋務運動と日清戦争の影響6
2.3.3維新変法思想の形成6
3. 戊戌変法と明治維新の過程と結果6
3.1明治維新の過程と結果6
3.2戊戌変法の過程と結果7
4. 明治維新の成功と戊戌変法の失敗の原因8
4.1リーダー8
4.2文化環境8
4.3民衆の支持9
5.結論10
1.はじめに
1.1 研究目的と意義
アヘン戦争の開戦は、中国の近代史の始まりとなった。これと同時に、日本も欧米列強の工業文明の強さを意識し、国を救う道を探し始め、明治維新の改革を行った。立憲君主制を確立し、富国強兵を行い、民族の独立を守るだけではなく、アジア唯一の帝国主義の強国となった。欧米列強の侵略にずいぶん苦しめられた中国も、救国の方法を様々に試し、日本の明治維新を模倣した戊戌の変法を試みた。しかし、この戊戌の変法はわずか103日で失敗した。光緒帝は幽閉され、改革派は弾圧に遭い、改革はすべて水の泡になった。中国はこれ以後、半植民地の淵にますます深くはまり込んでいくことになった。
戊戌の変法も、明治維新も、中国と日本それぞれの歴史の重大な事件である。この二つの事件の両国の近代化や、人民革命との関わりを改めて認識し、検討し、その損得や経験の教訓をしっかりまとめることで、両国の近代化の歴史をより深く認識できるだけではなく、当代の中国の改革や現代化にも大きな啓発をもたらすのではないだろうか。本論文では、両国の歴史事件の背景、過程、結果を具体的に比較し、その二つの維新運動の結果が異なった原因を探し、分析してみたいと思う。
1.2 先行研究
戊戌の変法と明治維新の関係はこれまで一貫して歴史研究者の主要な研究課題として研究されている。戊戌の変法と明治維新には、その成功や失敗の原因についても様々な説がある。「中国と日本両国の歴史、文化、伝統や資本主義の発展程度の違いが、改革成功の是非の根本的な要因である」と刘义程は「明治维新与戊戌变法成败原因新探」で述べている。中国人は長い歴史の中で輝かしい中華古代文明を創造した。この古代文明の代表的な特徴とは、自給自足の農業社会である。農業社会の生産方式は、中国人に自らの分をわきまえるという因習に囚われるような性格を養わせた。そして、統治者の愚民政策や「天朝上国」の思想に加え、中国人の思想は頭が固く、改革の勇気も失わせた。しかし、日本は小さな島国であり、資源などには限りがあった。日本人は何千年もの歴史の中で、常に中国を師とし、外来の文化を吸収してきた。このような環境と歴史は日本人に積極的、敢然と外国と抗争する性質をもたらした。また、日本の文化環境も開明的で、徳川幕府が鎖国政策を行っても、「蘭学」が生まれた。刘越英の「明治维新与戊戌变法若干条件之比较研究」によると、運動のリーダーも改革成功の是非の要因である。明治維新のリーダーの多くは藩政改革を体験し、権力を掌握し、豊富な政治闘争の経験を積んでいた。彼らは形勢を把握し、強い軍隊を持ち、攻撃目標も明確であったが、改革の過程は緩やかであった。中国の康有为、梁启超などのリーダーはほとんどが学者である。先進的な思想や豊富な知識を持っていても、政治には疎かった。光绪帝は皇帝であるが、実権はなく、軍事力もない。また、改革派では、谭嗣同や唐才常などの少数を除いて封建勢力と戦う気迫を持っている人はいなかった。朱红勤の「明治维新与戊戌维新成败原因试析」を見ると、国際環境も改革成功の是非のもう一つの要因となっている。まずは日本の国土は狭くて小さい。経済的な価値は限られていると列強は気づき、関心は日本の戦略価値に移った。日本を自国の極東の前哨基地にしようとした列強は、お互いに牽制し、連合して日本を侵略することができない。中国は日本と違い、経済的な価値も、戦略的な価値も大きい。開国を強要されたのち、列強に国土を分割され、占領されている。また、明治維新では、アメリカは南北戦争に忙しく、ロシアもクリミア戦争の敗戦に苦しんでいた。世界一の大国イギリスは全力で中国を侵略していたため、日本には改革の機会を与えられることになった。この時期、アジアの民族解放運動も盛んになった。1851年から1864年までの中国の太平天国運動や1857年から1859年までのインド民族解放運動も日本に重要な時間をもたらした。また、太平天国運動も列強を大きく震撼させた。列強たちは太平天国運動の教訓を汲み取り、日本への侵略が緩やかになった。列強たちの両国の維新運動に対する態度も違い、イギリスは倒幕派に多くの援助を提供し倒幕運動の最中には、列強は中立の態度をとった。だが、戊戌变法のときには、援助する列強は一つもなかった。
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